潮風が吹いたり、台風が来たり、
決していいこと婆かりではありませんが、
海辺のまちには、すてきなライフスタイルが待っています。
早朝の浜辺を愛犬とともに散歩する。
カフェのテーブルから、ゆっくりと進む船影を眺める。
水平線に沈む夕日を見送りながら、一日の終わりを感じる。
「まあ、そんなにあせらないで、のんびりいこうよ」
海を眺めていると、そんな気分になってきます。
暮らす人をやさしくつつむ空気が漂う海辺のまちで
あなたらしい暮らしを始めてみませんか?
写真:菊野輝之
今号の「TURNSな人々」でご紹介するのは、
フードコーディネーターの根本きこさんです。
土地にしばられずに”かろやか”に生きること。
それが私の目標です。
震災をきっかけに 流れ流れて沖縄に
「自給自足の生活にあこがれて」「田舎でえ子どもを育てたくて」「里山の古民家で暮らしたくて」・・・。
移住に求めたものはなんですか?と尋ねると、さまざまな答えが返ってくる。
2011年の東日本大震災以降は、「安心・安全な生活を取り戻したくて」と答える人も増えた。フードコーディネーターの根本きこさんもそのひとりだ。
根本さんは、2003年、ご主人の西郡潤士さんとともに神奈川県逗子市に「Cafe coya」をオープンした。閉店した寿司屋を、友人の大工の手を借りながら自分たちの手でリノベーション。天然酵母のドーナツや地産品を活用したハヤシライスなど、オーガニック食材を使ったメニューを提供し、女性を中心に人気を集めていく。根本さんの人柄ともあいまって、多くのファンに支持されるようになり、「カフェブームの火つけ役」 としてたびたびメディアにも取りあげられた。すべて、順調。
ところが、「3・11」で一変してしまう。
「震災直後は、とにかく東京から離れなくちゃ!という思い。店も閉めて、震災翌日には車に荷物を積んで、夫と2人の子どもたちと山口県の祝島に向かいました」
周防灘と伊予灘の境界に浮かぶ祝島は、山口県熊毛郡上関町に属する離島。人口約400人。瀬戸内海有数の漁場として知られ、漁業を営む家庭が大半を占める。祝島は「反原発の島」としても知られる。島の対岸、4キロ先に建設が予定されている上関原子力発電所に対して、島民たちは30年以上前から「計画中止」を求めて抗議活動を続けている。
逗子を発ってから2日後、根本さん夫婦は反原発のコミュニティを頼りに島を訪れた。「コミュニティは、原発の最新情報か集まる場所だったし、知識のある人も多かった。私と同じように逃げて来た人たちと、行く先について相談しあったりしました。海を渡ることに抵抗のある人もいれば、宮古島や石垣島などの沖縄県の離島をめざす人もいて。私たちには、あまり考えている余裕もなく、とりあえず行けるところまで西に行こうと、4月には知り合いのいる沖縄県の東村に移り住むことにしました」
亜熱帯で始まる 自給自足の暮らし
「東村で暮らしはじめたころは、ずいぶん遠くにきちゃったなあ、という感じ。近くにコンビニがあった逗子とは大違い」
それもそのはず、東村は、ヤンバルと呼ばれる沖縄本島北部エリアのなかでも、とくに自然豊かな東海岸沿いに位置する。人口は本島内でもっとも少ない。村の面積の約半分を米軍北部訓練場が占め、その脇を走る県道沿いには、亜熱帯の植物がうっそうと生い茂る。人家はぽうぽつと点在するのみ。「まわりにお店もほとんどないし、これを機に自分たちでどこまで自給できるか試してみようと。逗子でカフェをやっていたころから、お金でなんでも買う暮らしに不安を感じていたところでした」
自宅のセルフビルドに始まり、未経験ながら農業にも挑戦。米や野菜を育ててニワトリを飼い、口に入るものはなるべく自分たちの手でつくることにした。
文:名嘉山直哉 写真:村上佑
全文は本誌(vol.19 2016年10月号)に掲載
いまこそ、島へ
島は不便なところである。
それでも、人が島にあこがれるのは、とっても魅力的なライフスタイルが待っているから。
理想の島暮らしを実現するために、移住しやすく、生活しやすそうな島をTURNS編集部がピックアップ。
まずは予備知識として『離島経済新聞』編集長の鯨本あつこさんに「島」の現状について教えていただいたスペシャルインタビューも紹介。
また、移住のイロハでは「海・島しごと図鑑」と題して、海や島で暮らす実践者たちにQ&A形式でしごとの秘訣やアドバイスをいただきました。
ぜひ、書店などで手にとってご覧ください。
▼沖縄県の移住支援制度まとめ!