晴耕雨読な生きかたに憧れ、土を求めて移住を考えるひとは多い。
しかしそこに立ちはだかる「農ある暮らし、農業で生活ができるのか」という疑問。
その切実なテーマの解を求めるべく、ターンズは地方地域のリアルな農業の姿を追った。
するとそこには日々加速度を帯びて変化し、進化を遂げる農業の姿が。
いま、地方で蠢き出している新たな農業カルチャーの情熱、いまこそが、農業新時代。
文:アサイアサミ 写真:福岡秀敏
農業新時代|特集1
オルタナティブ農業
北海道せなた町
やまの会 富樫一仁さん/ソガイハルミツさん/大口義盛さん/福永拡史さん/村上健吾さん
北海道の南西に位置し日本海沿いに広がるせたな町には、米や野菜、牛、羊、豚を育てる5人の農家グループ「やまの会」がある。
いずれもオーガニックな農法を追求しているが、5人の個性はまるで異なる。
多様性に満ちたこのグループを昨秋から3度にわたって取材した。
命の循環という問いかけ
小高い丘に上がると、どこからでも海が見わたせるせたな町は、海、街、山の3つのエリアにわかれている。
昔から海の人、街の人、山の人と呼びあっており、山で農業を行う「やまの会」の名前の由来となった。結成は10年前。
代表の富樫一仁さんがオーガニックな農法を行う地域の仲間を集め、全国のシェフが集まる料理学会に参加したのがきっかけ。
ブースに出した食材は高い評価を受け、著名なシェフとのつながりが生まれた。やがてそれが「オーガニックラウンジ」という企画に発展。やまの会の食材によるフルコースをふるまう会を不定期で行うようになった。
「メンバーそれぞれの農園をツアーでめぐってもらってから、料理を食べてもらうんです。そうするとね、食べながら泣きだす人も出てね。命の循環を体感できるような場なんじゃないかなと思います」
富樫さんが語った「命の循環」という言葉は、取材のたびに考えるキーワードとなっていった。
「シゼントトモニイキルコト」を立ちあげ、農業とともに多彩なイベントを展開するソガイハルミツさんのもとを訪ねたとき、よりハッキリとこの言葉が意識された。無肥料、無農薬、自然栽培を行うソガイさんの畑は、既成概念を打ち破る営みがあった。草取りも種まきも一切しないという区画では、ゴボウや白菜が勝手に根を下ろしていた。種に適した環境が整えば、自然に芽吹く。目ざしているのは、すべてのエリアを植物のあるがままにまかせ「収穫するだけ」の状態にすることだという。
「なんもやんないでおいしいものが育ったら、これほどラクで楽しいことはないじゃないですか?」ソガイさんは、オーガニックを精神論ではなく「楽しくて合理的」と捉えることで、裾野を広げようとしている。
何事にも明快に答える彼は、命の循環をこう考えていた。「重要なのは、自分の死も次の命のためにあるというサイクルです。自然栽培をやっていると、命や自然を大切にしていると思われるけれど、それでは生にしかフォーカスしていない。生きていくためには、つねに何かが死んでいっている」
やまの会の「うまいもん」
文・編集:來嶋路子 写真:佐々木育弥
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京都府宮津市
飯尾醸造 飯尾 毅さん・彰浩さん
京都府北部の若狭湾に面したまち、宮津。
創業から125年もの長きにわたり誠実に、むかしながらの営みをつづけるお酢屋が過疎集落の棚田で米をつくり、酒を仕込む。
天橋立という一大観光地の目と鼻の先、自然豊かな「もうひとつの京都」で彼らがほんとうに残したいものとは。
無農薬米づくり、半世紀お酢を知らないひとはいないだろう。だけど、お酢が、何からどうやってできている調味料なのかということはちゃんと考えてみたことがなかった、というひとは案外多いかもしれない。
ヒントは、「酢」という文字。「酉」酒から「乍」作る、と書く。よい酢づくりはよい酒づくりから、よい酒づくりはよい米づくりからーー。
そんなわけで、お酢屋さんのお米のはなし。
「明治26年の創業より、変わらぬ製法でつくる『純米富士酢』は飯尾醸造の看板商品です。原料は地元、京都・丹後の山里で農薬を使わずに育てた米と山から湧き出た伏流水。ただそれだけを原料につくる純米酢。とはいえ、むかしは各地のお酢屋さんがどこもそうやってつくったでしょうから、おそらくは、とりたてて特徴もない醸造元だったのだと思います」
125年の長い歴史を語ってくださるのは、5代目当主の飯尾彰浩さん。全国どこにでもあった小さなお酢屋が、はじめに大きく舵を切ったのは、1964年、東京オリンピックの開催された年。
「当時、毒性の強い農薬が撒かれたあとの田んぼには、赤い旗が立てられたそうです。子どもたちは絶対に近づいてはいけないといわれ、たくさんいたはずのメダカやドジョウが姿を消した。そんな光景を目のあたりにした祖父が、農薬を使わずに育てた米を使おう、と決めたのです」
日本が戦後の食糧難からはい上がり、高度経済成長へ向かう時代の流れのなかで、食料の安定生産や農作業の省略化への多大な貢献を期待してひろまった農薬使用。そんな時代に、「農薬を使わんとお米を作ってくれまへんか」と地元の農家を一軒一軒頼み歩いたという3代目。
その意思をうけ継いだ4代目の毅さんも、安全な原料を確保しつつ、農家さんたちの苦労を少しでも減らしたいと、農協の3倍という高値で米を買うことを約束し、また、農法を一緒に研究したり農機具を提供するなどのサポートにも注力してきた。
「しかし、祖父の代からお願いしてきた契約農家のみなさんも高齢となり、15年前からは、父をはじめとする自社の社員も米づくりに携わるようになりました」
社内に米づくり担当の社員が2名。田植え、草取り、稲刈りなど人手のいる時は、社員総出で田んぼに上がることもあるが、海のそばにある本社から標高の高い棚田までは、車で45分ほど。不便な棚田、無農薬、素人の三重苦。これはきっと、ことばでいうほど簡単なことではない。
「でもね、わたしにとって農業はたのしい経験だったんです」そう感じたのは、当時29歳で5代目見習いとして東京からUターンしてきた彰浩さんだった。
自身が体感したこの「非日常のたのしさ、豊かさ」を、普段は現代的な社会の仕組みのなかではたらくお客さんと分かちあってはどうか。そんなアイデアから生まれたのが、体験会。田植えと稲刈り合わせて年6日。SNSやブログを通じて富士酢ファンに声をかける。最初こそ数名からのはじまりだったが、今では年間で延べ200人ものファンが、全国から我こそはと丹後の棚田に足を運ぶ。
飯尾醸造の「うまいもん」
文・編:高橋マキ 写真:石川奈都子、福岡秀俊
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滋賀県近江八幡市
百菜劇場 廣部里美さん
母なる湖、琵琶湖のほど近く。滋賀県の豊かな自然の中、たったひとりで熱心にお米をつくり続ける女性がいる。
〝農業女子〞とはいったいなにか。
やさしくもたくましい女性の視点から、農業新時代を見つめてみた。
農業女子、ここにひとり
滋賀県近江八幡市。琵琶湖の東側、湖東と呼ばれるエリアに位置するまち。
琵琶湖は、ご存じのように日本で最大の湖面積をもち、近畿地方1450万人の飲み水をはじめ、たくさんの人の生活を支える命の湖だ。その豊かな自然の恵みを巧みに利用し、滋賀の人々はむかしから自然と調和した生活、農林水産業を営んできた。
滋賀県の農耕地の約92%を田んぼが占めているため、米づくりが盛ん。滋賀県産をあらわす「近おうみまい江米」は関西では屈指のブランドだ。「百菜劇場」の看板をかかげた田畑は、琵琶湖最大の内湖である西の湖の近くにある。田んぼ6枚と畑1枚、レンコン畑1枚がならぶ約1ヘクタールの農地。「あと2ヶ所、ほかの場所にも田んぼを借りていて、今はあわせて2ヘクタールの土地で農業を営んでいます」
琵琶湖の豊かな自然の恩恵を受ける2ヘクタールの肥沃な農地を、日々試行錯誤しながらたったひとりで切り盛りするのが「百菜劇場」代表の廣部里美さん。
福井県生まれの33歳。2007年、就職をきっかけに滋賀へ移住し、不動産開発の仕事をする中で「NPO法人百菜劇場」と出会う。2011年からその運営にたずさわり、菜園講座やオーガニックマーケットなどにとり組み、農ある暮らしを提案してきた経験を経て、2014年、近江八幡市のこの地で新規就農。「百菜劇場という名前は、たくさんの生きものが暮らし、おたがいに反応しあいながら、さまざまなものが生みだされる創造的な舞台になりますように、という思いをこめています」
でも、ここではたらく〝ヒト〞は、彼女ひとり。
「そうなんです。農業って、孤独なんですよ」
これがどうやら、廣部さんにとって目下の大きな悩みのようだ。
とはいうものの、お隣の田んぼの佐平治さんはじめ、軽トラや原付
で通りがかる顔なじみの農家さんたちはみな、廣部さんをちゃんと気にかけてくれている。
「外から来て、もしもはじめから計画的に要領よくやっていたら煙たがられたかもしれない。でも、わたしの場合はつねに心配されている立場だから、それで仲良くしてくださっているのかも」
買えば1台数百万円する大きな農機具も、はじめはすべて集落の営農組合から借りた。女性だから困るということはなにもないというが、もともと研究熱心なのだろう、とにかくあれもこれも試行錯誤したい日々は、楽しい中にも不安がつきまとうらしい。だけど、そうやっていちいち悩みながら手間をかけ、生きものとともにじっくり育てたお米や野菜は、廣部さんの人柄そのもの。味が濃く、しっかりとした香りと食感があっておいしいのだ。まっすぐに。
百菜劇場の「うまいもん」
文・編集:高橋マキ 写真:石川菜都子
※各記事全文は、本誌(vol.30 2018年8月号)に掲載