取材当日は、しんしんと雪の降る日。
温泉街は、あっという間にあたり一面が白くなっていき、まちの表情を変えていきました。そこに止まることなく流れる温泉の音。
耳に届く湯の心地良い音に思わず、「雪を眺めながら、のんびり温泉につかりたい」と声が漏れ出てしまうほど。まちの雰囲気と温泉の音を聞いただけでも、「おかえり」と言ってもらえているような、落ち着く不思議な感覚になります。
東京から北に約2時間。
福島県二本松市にある岳温泉は、かつて3回の災害に遭遇しながらも、湧き出る温泉だけは止まることなく、江戸時代から続く「湯守」たちによって大切に守り受け継がれてきた温泉のまち。
そんな岳温泉がある安達太良山の麓「あだたら高原」は、地域の人々に親しみを込めて「あだたら」と呼ばれています。今回は「あだたら」の地に暮らす6人から、それぞれのあだたらに寄せる想い・地域の歴史について伺い、まちの魅力に迫っていきます。
※記事前編『【求人】温泉とともに。”岳温泉”ではたらく』は、こちら!!
https://turns.jp/17413
長さ約8㎞を誇る日本一の引き湯、そして「湯守」の歴史
まずお話を伺ったのが、岳温泉の名物「くろがね焼」などの和菓子を製造・販売する「玉川屋」の代表・渡辺茂雄さん。
渡辺さんは、安達太良マウンテンガイドネットワークの副代表で、山登りガイドとしても活躍をしています。そして本業のかたわら、温泉を守る地元の「湯守」としての顔も持っています。「湯守」とは、その名のとおり湯を守る温泉の管理人のこと。
「昔から山が好きでしたし、やはり岳温泉は温泉によって生きているまちなので、いい温泉を止めることなく守っていくために、湯守のことを学びたいと思ったんです」
岳温泉には、源泉から温泉街まで全長約8㎞にも渡る長さで、自然落下による日本一の引き湯があり、温泉街に湯が届くまでには40分もの時間がかかるそう。
湯樋(ゆどい)
湯の通る“湯樋(ゆどい)”と言われる木管には、20mごとに点検口があって、定期的に溜まった湯花を落とし、湯の詰まりを防ぐ必要があります。湯守は、冬場になると4m近く積もる雪をかきわけながら移動し、掘り起こして湯花を落とす作業を週に一度、1年を通して行っています。自然を相手にその時の状況を見極め作業しなければいけない、とても重要な仕事です。
「湯守を通して、岳温泉の大切さを実感しました。まちには温泉があるから商売ができているという感謝の気持ちがある。ここで暮らすには温泉なんだという想いの強さがわかったんです」
湯守が現代まで続き今なお受け継がれているのは、温泉がまちの象徴であり生活に欠かせないものだという意識があるからだと、渡辺さんは言います。ただ、現在湯守の中心となっているのは、60代~70代の人たち。体力的にも非常に大変な湯守ですが、それ以上に“温泉を守りたい”という強い想いがあり、湯守は続けられているそう。
「湯守を続け、訪れる人だけではなくまちの人たちにも、しっかり岳温泉や安達太良山の魅力を伝えていきたいと思います。そうすることで、岳温泉の歴史だったり、まちの人々の生活を守っていきたいです」
次世代に向けて、これからは渡辺さんのような想いを持つ若者を増やしていくことがあだたらにとって大切なこと。そのため、ネイチャーガイドのように地域の歴史や想いも伝える仕事は、その一役を担うとても重要な仕事なのかもしれません。
「地域をよくする旅館」、老舗旅館の女将の想い
岳温泉観光協会から2分ほど通りを登っていくと、風情ある木造建築の老舗旅館「お宿花かんざし」があります。
代々家族が受け継いできたこの旅館を継いだのが、岳温泉で最年少女将となった二瓶明子さん。
大学卒業後、都内のホテルに就職した二瓶さん。4年ほど働いたのちホテルを辞め「花かんざし」の女将となったのは、岳温泉に住む家族のこと、旅館の経営不振や後継者がいないことへの危機感があったから。しかし、最初はホテルに勤めていたときとのサービスの違いや、若い女将として年配スタッフとのコミュニケーションの難しさなど、戸惑うことが多くあったのだそう。
それでも、岳温泉でやっていこうと思えたのは「人の温かさ、居心地の良さを改めて感じたから」と、二瓶さんは言います。
「東京では電車で隣の人に話すことはほぼないと思いますけど、ここの人たちは話しかけてくれたりするんです。人に対する冷たさがないんです。東京にはない、温かい人のつながりを感じます」
最初は、「このまま旅館である必要があるのか」と悩んだこともあったけれど、再び岳温泉で生活していくうちに、二瓶さん自身が人の温かさに触れ、旅館のスタイルは自分たちの強みだと思えるようになったのだそう。
「仲居さんがお客様のお出迎えからお見送りまで担当します。ホテルにはない密着した人間関係を味わえますし、あの旅館にはこんな人がいた…ということも思い出のひとつになる。そこに岳温泉の良さを見てくれる方もいると思うんです」
今度は旅館そのものを守ることだけではなく、それ以上に「地域をよくしていく旅館を目指したい」という想いが二瓶さんにはあります。
「『三方良し』という言葉がありますが、旅館としてもさらに良くなっていくことで、この先どれだけ岳温泉に還元できるかということを考えて、旅館経営をしていきたいと思っています。そして、私たちの世代が昔の人たちの考えを大切にしながら、時代に合わせた形で守りたい歴史を、次の世代にスムーズに継承していけるようにしたいですね」
「ニコニコ共和国」が、教えてくれたこと
そして、歴史から紐解く岳温泉の魅力は他にもあります。それがミニ独立国家「ニコニコ共和国」を建国したこと。温泉街で、居酒屋「洗心亭」を営む長谷川正さんが、当時のことを教えてくれました。
「あの頃は、本当にものすごい盛り上がりだったんだよ。みーんな商売やりながらさ、ニコニコ共和国としての仕事もしてたわけ。私は、国境警備隊だったんだけどね。来たバスとか止めて、パスポートを売ったりしてたんだよ」
全国各地でミニ独立国家ブームが起きた時代、昭和57年に全国に先駆けてミニ独立国家を建国したのが岳温泉。
「ニコニコ共和国」建国は、まちの住民が集まる居酒屋での会話がきっかけで、わずか一夜にして決まったことだそう。当時、岳温泉の最寄である二本松駅は、開通する東北新幹線の「通過駅」として決まっていました。ニコニコ共和国とは、まちの衰退を防ぐべく考えられた“まちづくり”のカタチだったのです。
「みんながちゃんと制服とか着てたから国として様になってたよ。私も保安官の格好してね。イベントって自分たちが楽しくないと、来た人たちも楽しめないじゃない。だから、まちのみんなが本当に楽しんでやってたね」
独立国家ではなくなった今でも、その名残が生きています。
イベントとしてやっていた盆踊りは現在でも開催されているし、当時流通した専用紙幣「コスモ」は今もほとんどの商店で使用できてしまうほど。
今の私たちが聞くと「本当なのだろうか?」とクスクスしてしまう面白いことを、当時は大真面目にやっていました。結果として、まちには自然と一体感が生まれ、ムーブメントを起こすことができるということを示してくれたんです。
逆境を力に変え、カタチにするパワーがある
昭和30年に創業された「佐藤物産」の4代目・佐藤善彦さん。
佐藤さんは、地酒や物産品の販売をするほか、元料理人という経歴を生かして、地元あだたらで採れた牛乳を使用したミルクジャムなどの食品加工や卸売などを行っています。そして、自身もアクティビティが好きということから、スキー用品や登山用品などのレンタルを行うなど様々な取り組みをしています。
佐藤さんは、逆境を力に変えるマインドが岳温泉にはあって、「親から子、孫へと、自然にそのマインドが伝わっているのでは」と言います。
陳列しているワインやジャムなどの商品は、東日本大震災以降に造ったものだったり、少しでも多くの人に地元の良さを知ってほしいと、佐藤さんの仲間たちが懸命に生みだしたもの。震災当時、仕事が思うようにできない危機的状況の中でも、どうにかして地元を守ろう、盛り上げようという想いが商品となって、今届けられています。
「岳温泉というのは、アウトドアができて、ゴルフ場や海も近い。そして、なによりも温泉がある。実際に私はこのまちを楽しんで遊べているし、本当に素材はたくさんあると思っているんです。だから、時代に合った形で見せ方を考えながら伝えていけば、お客さんが来ないわけがないと思っています」
あだたらにある、特別な「空」
続いて訪れたのは、温泉街から車で2~3分ほどの場所にある「チーズケーキ工房・カフェ風花」と「もりのこうぼう」。両親が始めたお店を家族でDIYで改装し、昨年からお店の運営に携わっているのが橋本花梨さん。橋本さんは、接客から企画、広告デザイン、広報などを担当しています。
筑波大学に進学した橋本さんは、東日本大震災をきっかけに観光客が激減したことで、家業の経営が危うくなったのをうけて、大学を中退。そして、二本松市に戻ってきて両親のお店を手伝っていました。
「家業を手伝っているうちに、あだたらの良さを知るためにも、もっと他の地方の観光について勉強したいと思うようになったんです」
大学を辞めてから約2年後、沖縄県にある小浜島でリゾートホテルや西表島のゲストハウスのアルバイトを経験したのだそう。
「アルバイトをしていくと、私は『地域おこし』とか『まちづくり』に興味があるんだなって気づいて。そのうちに徳島県で地域おこしをする人材を育てるスクールがあると知り、4か月間勉強もしました」
そして、石川県で移住コンシェルジュとして働く経験を経て、昨年再び二本松市に戻ってきました。さまざまな地方での経験をしてきた橋本さんには、現在のあだたらはどのように見えているのでしょうか?
「以前とは地元が違う景色に見えますね。昔からやっている食堂や商店が味わい深く感じたり、牛がいる牧草地が特別な風景なんだと思えるようになったんです。昔は当たり前で、あまり価値のないものだと思っていました(笑)」
あだたら高原が魅力的なまちだと思えるようになったのは、地方に行って、まちを愛し生活を営む人たちと触れ合ってきたからこそ。そして、魅力を伝えるには「まずは自分が体感して、知ること」が大切だと橋本さんは学んだと言います。
そんな橋本さんが感じているあだたらの魅力。それは「空が広いこと」だと言います。
「戻ってきたとき、『あだたらって空が広い』って思ったんです。沖縄だって、ほかの田舎まちだって同じに見えるかもしれません。でもあだたらの空は視界に入るんです。自然と空を見上げてしまう。安達太良山があるからかもしれませんが、これは特別だと思っています」
まちに真剣に向き合っているからこそ、このままではいけないという使命感が生まれているのでしょう。先人たちと同じように前に進もうとする若いチカラが新たなまちの歴史を紡いでいく、というあだたらのパワーを橋本さんから垣間見ることができました。
名物おばあちゃんから感じるあだたらの地
岳温泉唯一のお豆腐屋「渡辺豆腐店」を営む渡辺正江さんは、この店の名物おばあちゃん。まんまるで可愛らしい“玉どうふ”が人気で、手作りの豆腐は一般向け販売だけでなく周辺の旅館などにも卸しています。
店内でも手作りの豆腐を食べられるということで、寄せ豆腐と自家製みそをつけたこんにゃく、豆乳がセットになった“いっぷくセット”をいただきました。大豆をぎゅっと凝縮した寄せ豆腐の濃厚な味に感激し、うなずきながら味わっていると、おばあちゃんが玉どうふも出してくれました。
「こうやってねぇ、玉どうふの上をつまんで下から楊枝をさすと、つるんと出てくるよ。やってみて」
福島の方言でおばあちゃんが話すと、ゆったりとして和やかな雰囲気になります。
「みんなねぇ、いい人が多いんだよ、岳温泉はね」
岳温泉から少し離れた本宮というまちから、嫁いできて50年。岳温泉の繁栄も衰退も見てきたおばあちゃんの言葉には、まちで頑張る人たち、訪れる人たちを子どもや孫を見守っているような、あたたかい愛情を感じました。
***
お話を伺った方たちは、穏やかだけれど、明るく、何よりも楽しそうに話してくれました。
歴史的にも様々な災害を経験してきたこのまちには、喜びも苦労も互いに分かち合う気持ちが、自然と根付いているのでしょう。だからこそ、どんなことも、どんな人も受け入れ楽しむ広い心があるように感じます。訪れた日は雪の降る日でしたが、心があたたまる素敵な人たちとの出会いがある1日となりました。
次なる未来を思い描き行動しながら、「伝統」とも呼べる岳温泉“らしさ”をしっかりと継承していく、そんな想いがあだたらに住まう人々には根付いていました。それは「守りながら、挑戦する」という、岳温泉らしいまちづくりのあり方なのだと感じます。
岳温泉には「婿がくると繁盛する」という言習わしがあるそう。
地域の外の人が新しい価値観を持ち込み、それが地域に新しい風を吹かせるということだそうです。
そして、まさに今、地域の中で新しいコトを起こそうと気運が高まっている。
岳温泉ほど「挑戦」という言葉がしっくりくる地域もそうないでしょう。
今募集している観光協会の職員もネイチャーガイドも、そんな「外」の価値観が混ざればもっと面白いことになるのではないか…そう思わざるを得ません。岳温泉でおもしろい未来に向けて挑戦してみたい…そう感じたら、ぜひ一度、岳温泉に足を運んでみてください。
文:草野明日香・矢野航 写真:矢野航
※【前編】温泉とともに。”岳温泉”ではたらく|https://turns.jp/17413