「農業で教育を」
有機農業が根付く土地での挑戦

有機農家「綾・早川農苑」 奥 誠司さん

ユネスコエコパークに登録されている宮崎県綾町が誇る、日本最大級の原生的な照葉樹林。綾町は1973年、その森を中心に自然との共生を目指す「有機農業のまち」として地域振興をスタートさせた
各家庭での一坪菜園の普及を促進し、1988年には全国初となる「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定、町全体で有機農業に取り組んでいる。今では同町の観光拠点になっている直売施設「綾手づくりほんものセンター」には、町独自の基準で金・銀・銅にランク付けされた朝採れの野菜や果物、加工品がずらりと並ぶ。

この豊かな自然と有機農業が根付いた土地に奥誠司さんが移住してきたのは20年以上前。全く違う職業から「農業で教育を」という一心で見ず知らずの地に飛び込んだ奥さんに、綾町の有機農業の魅力や農業を通した教育への想いを伺った。

 

【プロフィール】
奥 誠司さん
福岡県北九州市小倉生まれ、福津市で育つ。大学卒業後、福岡県で中学校の社会科の教員として3年間勤務後、JICA派遣ボランティアとしてブラジルに派遣。現地では日本語教師を勤める傍ら、野球や太鼓を子どもたちに教えることで日系社会の文化育成に貢献する。帰国後は綾町に移住し、農業を始める。その後、NPO法人を設立、綾町の農業体験を中心とする教育事業に尽力する。2021年4月に『綾・早川農苑』代表に就任。有機農業と農業体験を通じた教育事業で綾町のまちづくりを支えるキーパーソンの一人。

 

思いがけない農業との出会いと挑戦

「ある先生から『これから農業が必ず脚光を浴びる。君には日本に愛着を持って、日本の文化を発信してほしい。農業を通じた教育をやらないか』と」

綾町で野菜の宅配事業や農業体験などを行う「綾・早川農苑」代表の奥誠司さんが同町へ移住したきっかけになった言葉だ。

福岡県出身の奥さんは大学卒業後、中学校教員として3年間勤務。その後、「広い世界を見てみたい」と国際協力機構(JICA)派遣ボランティアとしてブラジルに渡り、ヴィトーリアという都市で日本語学校の教師を務めた経験を持つ。

「ブラジルでは教師をしながら、地域の日系人の子どもたちに野球や太鼓を教えていました。その活動を通して日系社会が活性化した功績が認められ、当時の天皇陛下(現上皇陛下)に拝謁する機会もいただいたんですよ」

当時の教え子たちとの交流は今でも続いており、「本物の交流というものを日系社会が教えてくれた」と奥さんは振り返る。

前述の「農業を通じた教育をしなさい」という言葉を投げかけられたのは、ブラジルから帰国後、中国に行く矢先のことだという。

「子どもが好きなので、教育にどう関わっていこうか模索していた時でした。農業は教育のツールになると腑に落ちたんですね。そこで有機農業が盛んな綾町への移住を決意しました。3年後には農業学校を作ることを目標に意気込んで来ましたが、農業をすること自体がすごく大変なことだと実感しました」

移住直後に出会った人たちの協力で、なんとか借りることができた3反の畑で野菜作りをスタート。ひたすら一人で畑と向き合う日々が続いた。


広大な照葉樹林の麓で青々と育ったスティックセニョール(茎ブロッコリー)

「移住当初は、自分自身が調子に乗っていたこともあり、地元の皆さんにあまり受け入れられていない雰囲気を感じていました。しかし、地道に農業を続けていくうちに周囲の目も『変わっているけど、悪いやつじゃないな』と優しく見守ってくれる雰囲気に変わりましたね」

奥さんの農業に懸ける覚悟や努力が周囲に伝わり、次第に認められていったという。

 

自然のままの栽培にこだわった野菜の魅力を届ける

綾・早川農苑は「自然生態系農業」で栽培した野菜の宅配事業をメイン事業としている。

「綾・早川農苑は妻の母・早川ゆりが築き上げたものです。彼女は、たまたま食べた農薬や化学肥料を使っていない野菜の美味しさに感動し、有機農業が盛んな綾町に40代で移住しました。最初は小さな倉庫からのスタートでしたが、育てた野菜の美味しさが評判となり事業も農地面積も少しずつ広がっていきました」

現在、綾・早川農苑は3町の畑と1町の田んぼで、ニンジンやゴボウなどの多品目の野菜を露地栽培している。


ニンジン


ズッキーニ

自然のままの栽培にこだわっています。農薬と化学肥料を一切使わないのを大前提として、極力何も使わない。例えば雑草は抜きますが、野菜が育つのを手助けする感じです。どうしても駆除が必要な害虫のセンチュウに対しては、ソルゴーという牧草を生やして対処しています。草だらけ、虫だらけで大変ですけどね」

しかし自然環境に配慮し、地道な努力によって栽培された野菜の味は格別だという。

ニンジンは甘みがあるしジューシー。タマネギもダイコンも自然な甘さと旨味が感じられるんですよ。収獲した野菜は、加工もします。安心安全で素材そのものの素朴な味が楽しめる玄米甘酒や白ネギのディップが一番のお勧めです」


綾・早川農苑が製造するジャムなどの加工品

そんな滋味溢れた野菜は、消費者への宅配だけではなく、自社の農園ランチや宮崎市内の料理店でも提供するほか、スーパーや直売所、綾町のふるさと納税の返礼品など多くの場所・場面で人気を博している。

 

誰もが農業を通じて学べる場を作りたい

農業を通した教育という形で始めたものの、今は教育より農業の割合が高くなっている」と話す奥さんだが、「農業を通じた教育」の普及に向けた情熱は少しも冷めていない。

「どうしても農業を通した教育事業がやりたくて、農業から少し距離を置いたこともありました。専門的に教育事業をやるために、NPO法人を立ち上げ教育事業を拡充していったんです。今はNPO法人の活動は少し減らしていますが、農業を通して交流しながら『地域の子どもを地域が育てる』というコンセプトの『綾・農業寺子屋』事業も順調で、基盤を作ることはできたと思っています」

そして、綾・早川農苑でも修学旅行や企業の地域貢献活動に農業体験の場を提供し、人気を博している。

「農業体験をした子どもたちは、生き生きして帰りますね。『また来いよー』と言ったら、『おいちゃん、また来るねー』といったやりとりがあるような関係ができます。子どもの年齢や地域によって反応が違いますが、ただ土に触れ、新鮮なものを食べるという「食」と「体験」は子どもの記憶に強く残ると思います」

体験者の反応は好評でリピーターが多いという。今後は農家民泊事業への進出や、より多くの人達を受け入れるためのビニールハウスの増設を計画するなど、その熱意と夢は大きく広がっている。

「この農苑をどうしたいかと問われるなら、学校にしたい。学べる場というか、視野を広げる場というか、農業体験と食を通して、自然環境の素晴らしさや命の大切さに気付ける場を作っていきたいと思っています」

 

“世界の綾” を目指して

奥さんは綾町には “世界の綾” になれるポテンシャルがあると確信しているという。

日本最大級の照葉樹林があるからこそ、空気も水も澄んでいる。そして、そうした資源に育まれた土がある。だから野菜が美味しいんです。森と田畑は隣接しています。今、持続的社会の実現を目標に掲げるSDGsの実現が叫ばれていますが、綾町は半世紀も前からそれを実践しています。これは世界のモデルになれるポテンシャルですよ」

そんな豊かな環境に惹かれ移住する新規就農者も多いというが、自身も移住し農業を始めた立場から思う所があると言う。

「綾町は環境も食も有機農業も、良いものが揃っています。そういう意味では非常に住みやすいところなので移住を検討している方々にぜひお勧めしたい。ただし、できる限り地域の人と交流し、綾町に根付いてほしいと思います。半世紀以上も自然とともに生きるための努力を続け、人々が支えあってきた綾町の歴史や取り組みを理解し、地域の人たちと一緒にそれをつなげていける覚悟が必要です。そして、新規就農で一番大事なのは心構えです。『本気でやるぞ』と強い気持ちをしっかり持った上でやろうと思えば、うまくいくと思います。これからは農業の時代なので、勇気を持ってチャレンジしてください」

2021年に綾・早川農苑では香港の中学生や一般人を対象にしたオンライン農業体験会が開催されている。「日本に対して強い興味があるし、農業体験のニーズがあることが分かりました」と話す奥さんの次の視線は世界へと向いている。

「ここを “世界の綾” にします。綾町の魅力を磨き上げて、 “世界の綾”に です。必ず実現します」

縁もゆかりもない土地でスタートした奥さんの挑戦は、「大好きな町を“世界の綾”へ」とスケールアップし続けている。

 

取材・執筆=日高智明 構成=田代くるみ(Qurumu) 撮影=田村昌士(田村組)

 

綾町とは

「照葉樹林都市」綾町は、環境保全活動をはじめ、半世紀にわたる自然生態系農業(有機農業)や手づくり工芸の振興、自治公民館制度による地域活動・絆づくりの推進により、町全体が2012年にユネスコの生物圏保存地域 (ユネスコエコパーク)として登録されています。生ごみの分別資源化や里山の再生、環境教育の実施など、全国に先駆けて、脱炭素化や循環型社会の構築を意識した「サスティナブル(持続可能)な営み」を一人ひとりが続けている町です。

 

■食べ物|FOOD
ほんもののおいしさ「有機野菜」

「安全で健康にいい野菜を作ろう」「ほんものの味を味わおう」。そうした願いから、綾町では1988年に全国初の「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定。環境に優しい農法の実践に努めています。また、自治体として有機JAS認定機関に登録されています。
自然生態系に配慮した農法で作られた野菜、日向夏やマンゴーなどの果実、焼酎やオーガニックワイン、肉類はふるさと納税の返礼品としても人気。町中心部にある直売所「手づくりほんものセンター」は野菜や加工品を求める人々で連日賑わっています。

 

■場所|SPOT
照葉樹林と大吊橋が町のシンボル

照葉樹林は、古来から人類の文化の発達を育んできた場所。私たちの生活文化のルーツをたどるうえでも貴重な森です。
この森をのぞむ照葉大吊橋は、自然の素晴らしさや大切さを多くの人に体感してもらおうと架けられた、綾町のシンボル的な存在。高さ142m長さ250mで、空中散歩をしているようなスリルを味わいながら視界いっぱいに広がる緑と大空のパノラマを楽しめます。
そして、生物多様性を守りながら心地よい空間を生み出す取り組みは里山でも。 在来種や多年草を活用した花壇づくりや、里山再生を目指した植樹活動が進んでいます。

 

■暮らし|LIFE
豊かな自然とともにある暮らし

「自然と共に生きる」を理念にしている綾町では、日々の暮らしの中で自然を満喫することができます。清流のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら森の中を散策する森林セラピーや、子どもから大人まで気軽に楽しめる綾岳トレッキング、11コースあるサイクリング、綾南川でのカナディアンカヌー体験、川中自然公園や松原公園でのキャンプ、クラブハウスを持つ綾馬事公苑での乗馬、ミカン狩りや野菜の収穫などの農業体験、多年草の花壇づくりといったアウトドアが楽しめます。
こころとからだを癒す健康的な暮らしが綾町にはあるのです。

 

【お問い合わせ】
綾町役場 総合政策課まちづくり推進係
0985-77-3464

                   

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