今、自分は何をしたいのか?
ヨガで得た人生観でつながった私と阿久根

〜鹿児島県の「北薩摩」で暮らすということ〜

鹿児島県の「北薩摩」って、どんなところ?

鹿児島県の「北薩摩」は、薩摩半島の北部に位置し、熊本県との県境に接する出水市・阿久根市・薩摩川内市・さつま町・長島町の3市2町で構成されています。

鹿児島県の中でも農林水産業や製造業が盛んな地域であり、九州新幹線や南九州西回り自動車道も走っており、鹿児島市や熊本市、福岡市などへの交通の便にも恵まれています。

POINT①:農林水産業
北薩摩の西側には、東シナ海が広がっており、甑島や獅子島等の離島があります。各地でブリや鯛などの養殖が行われ、ばれいしょや豆類、かんきつ類などの栽培も盛んです。

POINT②:製造業
特産の農林水産物や食肉等の食品加工、芋焼酎の製造が盛んで、自動車部品や電子部品等の製造工場も立地しています。また、伝統の和紙や竹細工、薩摩切子などの製造、太陽光や風力等の発電事業も行われています。

POINT③:観光・サービス業
国定自然公園の甑島、日本文化遺産の麓武家屋敷群、雲仙天草国立公園の一部である長島町の島々、ラムサール条約登録湿地である藺牟田池やツルの渡来地があり、紫尾温泉や市比野温泉、川内高城温泉など県内有数の温泉地でもあります。

 

「ヨガには『つなぐ』という意味があるんです。人によって解釈も違いますが、私は『身体と、呼吸と心をつなぐ』だと考えていて。ヨガインストラクターを10年以上つづける中で自分を知ることをテーマに生きてきました。この街に移住した背景も、ヨガとは切り離せませんね。」

鹿児島県阿久根市。阿久根駅を出て西へ3分と歩けば東シナ海にぶつかる、16世紀頃より海運業で栄えてきた海の街。そんな自然環境や文化を生かした体験型観光コンテンツを造成する人物が、今回お話を伺う鈴木さんだ。

つい二年前まで、鈴木さんは神奈川県川崎市にある実家で暮らしてきた。観光系の専門学校を卒業したものの、観光に関わる仕事は阿久根が初。はじめて尽くしの挑戦だったが、ヨガで自分を常に知り、今何をしたいのかを考え行動してきたことが移住の背景にあると話す。

阿久根市地域おこし協力隊 鈴木晴子(すずきはるこ)さん
1976年生まれ、神奈川県川崎市出身。東京と横浜で接客業を中心に働いたあと、ヨガのインストラクターをはじめ現在11年目。インド中央政府公認資格などヨガ関連の資格を4種保有し、ヨガを軸としたイベントやリトリートを国内外で主催。2019年10月に阿久根市への移住とともに地域おこし協力隊に着任、インストラクターと並行しながら、地域の自然や伝統工芸などを生かした体験型観光コンテンツの造成に携わる。

 

阿久根だから体験できるアクティビティを

阿久根の歴史は古い。平安時代の荘園・英袮院(あくねいん)をはじまりとし、16世紀以降は海運業で栄えた。また現代では、鹿児島を代表する柑橘系の飴菓子ボンタンアメの材料ボンタンの産地としても知られる。市で最初の協力隊隊員である石川秀和さんの動きもあり、モノよりコト(体験)をと、地元の人々とつながる機会を増やしていくようになった。

活動する地域おこし協力隊は全員で四名、地域食材を使った特産品開発担当の一名を除いた三名全員が観光隊員というから、その力の入れようがうかがえるだろう。


鈴木さん(中央)に、同じく観光隊員の赤木さん(左)と、特産品開発を担当する木原さん(右)。


一年でできるアクティビティが書き入れられた付箋が黒板に張り出されている。見た目にも楽しいが、これを通して鈴木さんたち自身が楽しんで活動している雰囲気が伝わってくる。

これまで造成してきたアクティビティは、海の街である阿久根の特色を生かした、サップ、カヤック、ビーチクリーン体験など。変わり種では、『ウニ殻アート体験』なんてものも。


ビーチクリーン体験の様子。


ウニ殻アートは、海藻を食べて磯焼けを起こす厄介者のウニの殻を漂白して、キャンパスに見立ててペイントするアート系ワークショップだ。親子連れにとってもハードルが低い。

海ゆかりばかりでない。ほかには地元で採れる竹を使ったコップづくり、印染職人から学ぶ手ぬぐい染色体験などもある。工芸品系のツアー造成はまず職人さんへの訪問がはじまり。仕事を通じて阿久根市の特色を知ることができ、地域とのつながりも広がっていくという。

「活動を通して阿久根のいろんな方と出会えることが楽しいですね。特技を持ち、素敵な人が阿久根には本当に多い。お味噌を作る方、竹でカゴやザルなどを作る方、海女さんがいたり、日々やられているコトが移住者の私たちにとって新鮮で貴重な体験。私自身も、ヨガという自分の技を体験として提供してきたので、今までの経験を生かせていると感じます。」

それまでヨガインストラクターとして、江の島のビーチやレストラン、代々木公園、ときには麻布十番のタワーマンションで、はたまた国外で、ヨガを軸としたイベントを主催してきた。そんな経験も今の活動内容に生かせていると話す鈴木さん。


名刺にある『ヨガインストラクター』という肩書きにも力強さを感じる。

そんな鈴木さんの移住のきっかけそのものは「パートナーが先に阿久根に住んだから」とシンプルなもの。とはいえ、住み慣れた川崎を離れることは、大きな決断だったことには違いない。そこで背中を押したものが、冒頭の『ヨガ』を通して得た人生観だというのだ。

 

今どうしたい?阿久根に住んでみたかった。

阿久根以前の鈴木さんは、実に「パラレルワーカー」だった。

経験した仕事は、歯科助手、ブライダルアドバイザー、羽田空港の総合案内受付、代官山の会員制レストランの受付、上高地の山小屋スタッフなど、実に豊富。海外旅行も多く、断然行動派。保守的という言葉を知らないそのキャリアパスに「度胸がすごいですね」と率直な印象を伝えたところ、「やめてから考えるタイプなんですよ」と鈴木さんは笑った。

そんなさまざまな仕事を経験してきた鈴木さんが、長い付き合いになるヨガと出会いは12年前のこと。仕事で体調を崩し、友達からヨガスタジオに誘われたことがきっかけだった。


山にも近い阿久根は、リバートレッキング(沢歩き)なども楽しめる。

「見様見真似でやったんですが、ヨガの最中よりも、終わったあとの身体がラクになった感覚の方が印象に残ってます。そうして気づいたら一人でも通っていて、何度か行くうちに『このままお金を払い続けるなら自分がインストラクターになった方が早い』と思って。」

それからはヨガを通し、「心と身体がつながるような感覚を得たり、頑張って繕っていた鎧が解けて自分らしさを取り戻すようになっていった」という。そうして鈴木さんは、「今、自分はどうしたいのか」と自問自答しながら行動を取るようになった。その人生観は、度胸あるキャリアパスときっと無関係とは言えないだろう。

そんなヨガと出会い12年、パートナーの移住、自然のある暮らしへの憧れ、インストラクターとして10年という区切り、地域おこし協力隊の募集、また、自分を知る一環としてつづけてきた占星術でもよいタイミングと出たこと。それらが重なり阿久根の移住を決めた。

もちろん、自分の状況のほか、街に惹かれた部分もあった。まだ川崎に住んでいた頃、パートナーを訪ねる中で阿久根の温泉施設に寄ったところ、たまたま居合わせた中年女性と仲良くなって「移住した方がいいよ!」と誘われたことは大きな後押しになったという。

「それまで温泉で知らない人と話した経験なんてなかったのですが、阿久根ではじめてそんな場面に遭遇して、『移住しちゃおうかな?』って思いました(笑)」

地域おこし協力隊としての暮らしも今、折り返し地点に来ようとしている。任期後に考えるプランもまた、ヨガが軸である。というよりも、鈴木さんの人生のメインストリートはいつだってヨガであり、阿久根の地域おこし協力隊という経験もまたそこに集束していくといった方が正確だろう。それは移住前にとっていた行動からも明白だ。

「阿久根に来る前、街にヨガクラスがあるか調べたんです。マラソン大会がある一方で、意外なことにスポーツクラブもなかった。任期後はヨガスタジオを併設したカフェを開きたいと思っています。ヨガを終えたあとは気持ちがフラットになるので、その状態で地域の人たちとお茶でもしながらお話したいです。」

 

東シナ海に沈む夕日を眺める阿久根の暮らし

取材の最後に「阿久根のどんなところが気に入ってますか」と尋ねると、おすそ分けがしばしばあることという答え。ウニ、ネギ、らっきょ、じゃがいも、ブロッコリー、ボンタン、新鮮なブリやイワシ、手作り味噌まで、実に舌の上が賑やかだ。そしてもうひとつは、夕日を見られること。そのときの季節や雲の在り様で、二度は見られないうつくしい色味を空と海は披露してくれる。

私自身も海に囲まれた離島に暮らしているので、この魅力はよく分かる。ある友人は、「移住した人ってみんな、なぜか朝日よりも夕日のことを話すんですよね」と話していた。単に早起きしなくていいから目につきやすいのではという気もするが、それとは別に夕日には、その一日にあった悲喜こもごもを包んでくれるような温もりがあるからなのかもしれない。

鈴木さんから話を聞くまで、移住という選択の前に、その人の人生観について考えたことがなかった。まだまだ少数派だとは思うけど、近頃は「地方はいいよ」といろんな人が言う。しかし劇的な暮らしの変化という荒波を、楽しめる人もいれば、そうでない人も必ずいる。「島暮らしはいいよ」とよく話す私自身、肝に銘じておきたいことだなと思った。

阿久根を離れる電車の中、車窓に目をやると、やさしい夕日が広がっていた。

 

文/ネルソン水嶋
写真/ネルソン水嶋、鈴木晴子(提供)