【地域ルポ|鹿児島県薩摩川内さつませんだい市】
まちの賑わい、海の波音、伝統の鼓動
心地よいリズムに包まれる暮らし

九州新幹線が走る川内駅を中心に、都市と自然、二つの魅力が重なる薩摩川内さつませんだい市。

東シナ海に面した海岸線や海に浮かぶ島々には手つかずの自然が広がり、古代の陵墓や400年以上続く「川内大綱引」など、歴史と伝統が脈々と受け継がれてきた。

自然、文化、利便性が交わるこのまちには、どんな暮らしの可能性が広がっているのだろうか?

薩摩川内市ってどんなところ?

都市へもスムーズにアクセス通勤も余暇も快適に

まちの中心部には、九州新幹線が停車する川内駅があり、鹿児島市まで最速11分で到着。福岡まで約1時間、熊本まで45分と都市部へのアクセスも良好。旅行のみならず住民の通勤・通学にも欠かせない交通インフラとなっている。

暮らしのそばに息づく武家のまちの記憶

薩摩藩の武家屋敷が残る入来麓・里麓・手打麓や古代の陵墓・可愛山陵/新田神社、戦国時代の甲冑文化を体感できる甲冑工房丸武など、多くの歴史的名所が残されている。中世から近代までの多彩な歴史に触れることができる。

8,000万年前にタイムスリップ100%絶景の甑島こしきしま

本土の西方に浮かぶ甑島。8,000万年前の地層が生み出す断崖絶壁や国定公園にも指定された豊かな自然が魅力。化石を展示する「甑ミュージアム」などもあり、クルージングを通して島の絶景と太古の世界に出会える。

訪れる人々を魅了する薩摩川内の伝統と祭り

夏の川内川花火大会や薩摩川内はんやまつりなど、地域の魅力が詰まった四季折々のイベントが開催される。なかでも川内大綱引は、国の重要無形民俗文化財に指定されている伝統行事。自然と文化が調和する多彩なイベントに市外・県外から多くの人が訪れ賑わいを見せる。

自然と懐かしさに包まれる癒やしの温泉郷

昭和レトロ感漂う懐かしい街並みの中にある川内高城温泉や、湯治場として江戸時代から続き「美人の湯」とも呼ばれる市比野温泉など、市内には個性豊かな温泉が点在。自然に囲まれた静かな環境と、美肌効果も期待できる泉質に、心も体も癒やされる。

移住・子育て・就労支援が充実「暮らす」「働く」を全力サポート

18歳まで医療費助成があり、県内受診は窓口負担がないのが大きな魅力。子育て環境や支援制度も充実し、最大300万円の奨学金返還支援やUIJターン者向けの家賃補助、就労支援も整う。市独自の求人サイト「Job!薩摩川内」ではスムーズな仕事探しが可能。

薩摩川内で暮らす。移住者インタビュー

【Part 1_下甑島
海とアートと珈琲と
島の循環を織り込む
アーティストの新たな暮らし


「お店に立つのは大好き」とカヨさん。3拠点生活と制作の合間を縫って、お客さまとの触れ合いを欠かさない。福岡や佐賀には仕事に応じて月に1回、一週間程度出かける

カヨラコーヒー∩ラボ店主
カヨサトーさん

(プロフィール)
福岡県出身。博士号を持つ異色のファイバーアーティストとして欧州各地の展覧会等に出品している。佐賀県鳥栖市の「カヨラボ」に加え2024年、下甑島に自家焙煎珈琲スタンド併設の染織工房「カヨラコーヒー∩ラボ」を開設。福岡との3拠点生活を満喫中

「本土からたった1時間位なのに異世界のように美しい場所」と下甑島で染織工房と珈琲スタンドを営むカヨさんは目を細める。1日の終わりに歩いて50m程の所にある手打海岸で、珈琲と共に夕陽を見ながらくつろぐのがお気に入りの時間だ。打ち寄せる波と潮風が運ぶ砂粒が時折頬に触れる。その白い砂浜と透明な海の先に有人島はない。


カヨさんがチルタイムを過ごす手打浜。普段はほぼプライベートビーチ

幼い頃から絵や造形に興味を持ち、高校生の時に見た展覧会をきっかけに染織の道へ。アーティストとして活動しながら大学で教鞭も執ってきた。介護が終わったタイミングでこの先の人生を考えた時、友人を訪ねて15年来通っていた下甑島で創作活動を始めたくなった。本格的に物件を探し始め、浜の近くに見つけた民家を改装。大型の織り機を運び込み、工房を開設した。

島で暮らし始めてから作品にも変化が表れている。「ここでは出会うもの全てが濃い。フィルターなしで目や皮膚からダイレクトに流れ込んでくる感覚」だという。海へ沈む太陽、風が揺らす木立、庭から見上げる天の川…島の自然を感じるままに素直に作品へ織り込むようになった。


島に移住してから制作した作品。夕陽や樹々のきらめきなど島の自然を表現

カヨさんは工房をつくる際、島には珈琲焙煎所がないと知り、長年趣味としてきた自家焙煎で人との接点を広げ、制作の場だけでなく交流の場にしたいと考えた。「飲みやすい豆に加えてマニアックな豆も揃えています。まさか下甑島でこれが飲めるの?!と驚かせたくて」と、いたずらっ子のように笑う。

 今年は島内のビワ農家から仕入れる規格外のビワと、知人の庭に実るパッションフルーツを合わせたオリジナルドリンク「甑島ビワパッションフローズン」の人気が急上昇。わざわざ島外から飲みに来るファンもいるほどだ。ビワ農家に珈琲カスや焙煎時に出る薄皮を発酵させた有機肥料を提供したり、パッションフルーツの外皮を染料として使いコースターを作ったりと、サステナブルな取り組みも行っている。誰がどのように作ったのかが見えるものをいただき、日常的に使っていく島の生活とコミュニティが面白くてたまらないらしい。島の循環の中で、カヨさんの新たな創作と営みが育まれている。

甑島産のビワとパッションフルーツを使ったフローズンドリンクが話題に。島の果実の酸味と甘味がぎゅっと詰まっている

カヨさんは近いうちに工房の一部をアーティストインレジデンスとして開き、国内外の作家を招く計画を立てている。織物教室も開講し、島の文化のアーカイブにも貢献したいと語る。

「私は浜の砂粒の一つにでもなれれば本望。島で過ごした人がここの良さを思い出し、帰って来てくれたら」

珈琲の香りと共に、カヨさんの島への温かな思いは、距離と時を超えて広がっていく。


工房は知り合いの建築家と設計し、施工は薩摩川内市内の業者に依頼。外壁は手打浜の砂の色、瓦は珈琲色に

 

【Part 2_川内】
地域のイベントに積極的に参加。
新たに広がる交流の輪

川北電工 勤務
堀添 柊平さん

(プロフィール)
鹿児島県鹿屋市出身。川北電工への就職を機に、鹿児島市出身の妻と共に薩摩川内市へ移り、現在は2歳の子どもと3人で暮らしている。休日も地域行事への参加やラグビーのコーチ、新たな友人たちとのBBQなどで大忙し

「地域の行事に参加したり、地元の中学生にラグビーを教えたり。いろいろな人との交流を通じて、まさに〝住めば都〟だと実感しています」

そう話すのは、川北電工に務める堀添さん。鹿児島県鹿屋市の出身で、就職をきっかけに薩摩川内市に移り住んだ。現在は家を購入し、家族3人で暮らしている。

「就職活動では人と関わる仕事やライフラインに携わる仕事を探し、一番自分に合っていたのが電気工事などを手掛ける川北電工だったんです。薩摩川内市は鹿屋市と雰囲気が似ていたので、新しい環境にもすぐ馴染めました」


2024年8月から広報室長に就任。川北電工をより多くの人に知ってもらうためのSNS運用などにも携わる

川北電工は、今年で創業80周年を迎える地域密着型の企業だ。2024年に国の重要無形民俗文化財に指定された「川内大綱引」に積極的に参加しており、堀添さんは入社後にその存在を知ったという。

「同じ県内の行事なのに、就職するまでまったく知りませんでした。でも、今ではすっかり参加する側です。大綱引は地域の人と力を合わせて取り組むので、会社の外でもつながりが広がっていきます。川内は人と人との距離が近く、優しい人ばかり。それに、移住してから知ったのですが、薩摩川内市は子育て給付金や高校生までの医療費無料など支援が充実しています。会社の先輩に教えていただきながら制度を活用してきたので、今後は僕が新入社員に教えてあげたいです」


川北電工は鹿児島県内で唯一、設計から施工・保守、システムソリューションまで一貫して担う総合電気・通信工事会社。川内花火大会の協賛など地域行事に関わりながら、まちと共に成長してきた

地域とのつながりを深めるもう一つのきっかけがラグビーだ。高校・大学時代にラグビー部で活躍していた堀添さんは、移住後すぐに社会人チームに参加。そこで声をかけられて、地元の中学校でコーチを務めることになった。

「もともと教えていた方が辞められたので、代わりに僕が引き受けました。毎週日曜日に通っているうちに、子どもたちともすっかり顔なじみになって。地域のお祭りに出ると声をかけてもらえるので、このまちの一員になれたような気がします」


毎週、ラグビーのコーチとして市内の中学校へ。学生時代から続けてきたラグビーが、新たな交流につながっている

堀添さんは、今後も地域との関わりをさらに深めたいと考えている。

「薩摩川内市には大綱引や薩摩川内はんやまつりなど、魅力的な伝統行事がたくさんあります。今後はさらに関わる機会を広げ、多くの人にその魅力を伝えていきたいです。もちろん、川北電工のことも広く知ってもらえるようしっかりピーアールしていきますよ」

〝川北電工の堀添〟として地域に根を張り、より多くの人とつながるために。堀添さんの歩みは、これからも続いていく。


親子で薩摩川内はんやまつりに参加。大勢の踊り連が練り歩き、まち全体が熱気に包まれる

【Part3_祁答院町けどういんちょう
自然や地域と共に人生の後半を生き直す。余白を味わう暮らし


対面やオンラインでのコーチングセッションに加え、地域で講話やワークショップも開催。「身近な環境の恵みに気づくことで、地域の本質的なウェルビーイング向上の一助になれば嬉しいです」と大西さん

め組 Spirit 代表
「肩甲骨はがし 癒しの空間」運営
大西 めぐみさん

(プロフィール)
大阪府出身。大阪と東京でテレビCM制作のプロデューサーとして長年勤め、2018年に東京から薩摩川内市へ移住。現在は、移住後に出会った鹿児島市出身のパートナーと自然エネルギーあふれる環境で温泉を楽しみながら、心と体の調和を育むコーチングとマッサージの事業を営んでいる

大西さんの1日は温泉での朝風呂から始まる。薩摩川内市には源泉かけ流しの温泉が点在し、毎月定額のパスを使えば入り放題。朝夕浸かる温泉のおかげか、体調も肌艶も都会にいた頃より見違えるほど良くなった。現在の仕事であるコーチングやマッサージの予約がない時は、パートナーと散歩に出かけたり、「藺牟田池」や「矢立農村公園 せせらぎの里」でお弁当を食べたりと、自然や季節の移ろいを肌で感じる生活を送っている。


昔なつかしい風景が広がる「 矢立農村公園せせらぎの里」

「移住して気づいたのは、何もないことこそが実は豊かさだということ。お金を出せば便利な施設はいくらでも作れますが、この澄んだ空気や四季折々の自然は作れない。以前の私は生産性重視で、空き時間をいかに効率よく予定で埋めるかばかり考えていました。でも今は、あえて余白を作るようにしています。何もしない時間を持つことで心が整い、自然とアイデアがひらめき、作業効率まで上がるのです」

 大西さんは東京や大阪でテレビCM制作のプロデューサーとして20年以上過ごしてきた。成果が給料に直結するため、四六時中プレッシャーとの戦いだった。そんな日々の中、大西さんは仕事も家もお金もすべてを失う経験をする。失意のどん底で一時、薩摩川内市の知人宅でお世話になり、東京に戻った。その後、お礼を伝えに再訪すると「住む所もあるし、ここで一からやり直してみないか」と背中を押された。

「田舎暮らしに憧れて…というような美しい動機ではなく〝流れ着いた〟という感じですが、この環境に身を置き、内観したり心理学などを学んだりする中で、結果的に良い転機だったと思えるようになりました」


パートナーとは薩摩川内市入来町にあった古民家カフェのイベントで知り合った。価値観が変化した後だからこそ出会えた人もいる

自分のつまずき経験を誰かの役に立てたいと始めたコーチングは、20代から70代まで幅広い世代の人生をサポート。オンライン中心のため、地方都市に住んでいてもハンデは全くない。「心の不調が体に表れ、体の不調が心に影響を与える」という実体験から、大西さんはコーチングとボディケアの双方からアプローチすることを大切にしている。心と体の両面から根本的な要因に働きかけることで、より良い状態へと導くことができるからだ。

大人やお年寄りがいきいき暮らす姿こそ若い世代の希望になり、まちを支えると大西さんは言う。

「人が少ないからこそ一人ひとりが大切な存在。都会で悶々としているより、幸せを実感しながら暮らせます」

何歳からでも、ゼロからでも再起し、自分らしい幸せを見つけていける。大西さんの新たなスタートを受け止める薩摩川内というまちの懐は大きく深い。


コーチングセッションの後、相談者の顔が明るくなるのを見るのがやりがいだ。また、コリや疲れを和らげる肩甲骨はがしマッサージは、サロンでの施術に加え、出張やイベント出店も積極的に行い、活動の幅を広げている

 

【Part4_東郷町】
“地元”になった薩摩川内。みかんに導かれた新い道


妻の祖父の代から続くみかん農家を守るために移住し、現在は妻の伯父と妻と共に三人で営農。ここで育つみかんは、村上さんが「どこに出しても自信を持てる」と語るほどの美味しさ

むらかみファーム
村上 猛さん

(プロフィール)
東京から妻の地元、薩摩川内市へ移住し、妻の伯父が営むみかん農家に加わる。大事に育てたみかんは収穫まですべて自分で行いたいというほど、愛情をかけながら大切に育てている。農家の傍ら土地家屋調査士の仕事も並行

「人生で今が一番楽しく、心豊かに暮らせています。本当に移住して良かったです」と話す村上さん。東京で生まれ育ち、結婚後も地下鉄の駅員として東京で働いていたが、当時は大きなストレスにさらされ、心も体も限界を感じていたという。そんな折、薩摩川内市でみかん農家を営む妻の伯父から届いたみかんが、村上さんの人生を変えるきっかけとなった。

「伯父のみかんは今まで食べたなかで一番美味しかったんです。でも、伯父には後継ぎがおらず、農家を辞める予定だと聞いて、〝このみかんを残すために自分が継ぐ!〟と決心しました」


妻と一緒にみかんの生育状況を確認。農業は天候や鳥獣被害の予測が難しく、毎年さまざまな課題に向き合う必要がある

移住の思いを伝えた時、突然の話に妻は戸惑ったという。

「妻は薩摩川内市出身ですが、地元を離れて20年近く経っていたので知り合いがほとんどいませんでした。娘もまだ年少で、東京で築き上げた交友関係をすべてリセットして、またイチから築いていくことに不安を感じていたようです」

それでも村上さんは強い意思を持ち、話し合いを重ねた。さらに、農業だけでは収入が不安定だと考え、2年かけて土地家屋調査士の資格を取得。その姿に妻も「これだけ覚悟があるなら、新しい土地でも力を合わせてやっていける」と安心し、ついに薩摩川内市への移住が叶った。その後、子どもが一人増え、現在は4人家族で日々を楽しんでいる。


広い庭をゆったり使い、家族揃ってBBQ。鶏肉が大好きな娘のリクエストで、“焼き鳥屋”状態になることもしばしば

「伯父の農家に近い場所で理想的な物件が見つかり、薩摩川内市の移住者向けの定住住宅リフォーム補助金を利用して一戸建てを手に入れました。東京では集合住宅だったので、子どもが音を立てないよう縮こまって暮らしていましたが、今では思い切り駆け回ったり、広い庭でバーベキューをしたりと、のびのび過ごしています。妻が心配していた交友関係も、いざ来てみれば素敵な人たちに恵まれ、すぐに地域に溶け込めました。今ではすっかり、私たちの〝地元〟です。薩摩川内市は優しい人が多いですし、飛び込んで行けば必ず気の合う仲間に出会えます」

日に日に薩摩川内への愛着が強くなるという村上さん。

「娘たちは将来別の土地に行くかもしれませんが、薩摩川内で育って良かったと誇れる地元にしたいと考えています。そのために、周りの人と協力しながら子どもたちのためのイベントを開いたり、伝統を守り伝えたり、自分にできることを続けていきたいです」

薩摩川内の地で、人とのつながりと豊かな暮らしを育みながら。村上さんの新しい人生は、これからもさらに充実していくに違いない。


暑い季節には、近所を流れる川で川遊びも。自然豊かな環境だからこそのびのび遊べる

 

【Part5_上甑島】
若いからこそ挑戦したい。
26歳、看護師から島の漁師へ転身


漁師2年目。「獲ってきた魚に競りで高い値が付くのは大きなやりがいの一つ」と武輪さん

甑島社中 勤務
武輪 愛花厘さん

(プロフィール)
兵庫県出身。2024年に上甑島へ移住。漁師たちによる一般社団法人 甑島社中に所属し、キビナゴ漁を中心に活動。島の自然に囲まれ、初めての一人暮らしを経験しながら、船舶操縦や素潜りの技術を磨き、一人前の漁師として独り立ちすることを目標に奮闘中

武輪さんは看護学校を卒業し、大阪で看護師として3年働いたところで転機を迎えた。やりがいのある仕事だったが、子どもの頃からテレビ番組などで観て憧れていた漁師に挑戦したいという気持ちが優った。高校卒業後、すぐに船舶免許を取得し、父と共に船で釣りに出かけていたほどの海好きだ。両親は「若い時にやりたいことをやりなさい」と応援してくれたが、甑島出身の祖母は大反対。しかし武輪さんの熱意に、甑島でならと渋々承諾した。

「漁師、募集」で検索してヒットした水産会社にすぐさま電話すると、加工場の手伝いは募集しているが、漁師の求人はないと言われた。引き下がらず「漁師になりたいんです!」と気持ちを伝えたところ、漁を体験させてもらえることに。

初めて体験したプロの漁。厳しい仕事だと感じたものの「楽しそう!」と湧き立つ気持ちの方が強かった。

「海の上で働くなんて普通はできないこと。いつ死ぬか分からないんだから挑戦したい」

その後2回目の体験を経て、甑島社中の社員として漁師になることが決定。住む場所も決まり、最初の漁体験から半年後には、上甑島へ移住していた。


(左)甑島社中の代表であるベテラン漁師、先輩と3人で船に乗り込み漁に出る。「いちばん厳しい船だと言われますが、1年やってこられたのでなんとかなると思います」と武輪さんは常に前向き
(右)毎朝、親方と新鮮なキビナゴで朝食を摂る。刺身や醤油炊きが定番

甑島を代表するキビナゴ漁の最盛期は4月から7月。夜中の2時に漁に出て明け方5時に帰港し、その後夕方まで加工場で作業する。8月から11月はバショウカジキを獲りに行き、冬場は網の修理やカンパチの養殖作業。移住当初は肉体的にも精神的にも過酷で大阪に帰りたいと思ったこともあったが、1年経って島の暮らしにも慣れ、地域の人との交流や余暇を楽しむ余裕が出てきたという。乗り越えさせてくれたのは島の美しい自然と、移住者を隔てず親身になってくれる島民の温かさだ。「夜中に海の上で見る満天の星や流れ星は最高の美しさです。ウミガメと泳ぎ、マンタやイルカを見ることもあります。市場へ魚を卸した帰りに朝日の中で船を走らせる時間や、船上で食べる自分で獲ったキビナゴは格別」と、この暮らしが日常であることの幸せを噛み締める。

「最近は素潜りで10mくらい潜れるようになったんです。船の操縦も上手くなって、将来は一人親方になりたい」

武輪さんは移住後の自身の確かな成長を感じながら、この島での未来をぶれない目でしっかりと見つめている。


島にあるヘリポートから見る夕陽は絶景。武輪さんのお気に入りの場所だ。島へ来てから空気がおいしすぎて煙草もやめ、今まで当たり前だと思っていたささやかなことにも感謝できるようになった

 

薩摩川内市への行き方と移住サポート

薩摩川内市への行き方

✈️ 飛行機で

東京(羽田空港) ─ 鹿児島空港 …約1時間50分

大阪(伊丹空港) ─ 鹿児島空港 …約1時間15分

福岡(福岡空港) ─ 鹿児島空港 …約40分

鹿児島空港から薩摩川内市内へ

バス利用 …約1時間50分

電車利用 …約1時間10分

 

新幹線で

東京駅 ─ 川内駅 …最速約6時間40分

新大阪駅 ─ 川内駅 …最速約3時間50分

博多駅 ─ 川内駅 …最速約1時間12分

 

車で

福岡市内 ─ 薩摩川内市内 …約3時間45分(九州自動車道を利用)

 

\地域交通の基盤/
肥薩おれんじ鉄道

薩摩川内市の「川内」駅と熊本県八代市の「八代」駅を結ぶ肥薩おれんじ鉄道。薩摩川内市民にとって、通勤・通学や買い物、病院への移動などの日常生活に欠かせない地域交通の基盤であり、同時に地域を外とつなぐ重要な鉄道です。「おれんじ食堂」というレストラン列車も運行しており、沿線の特産品を使ったグルメや、景色を楽しむことができます。

 

12/20(土)薩摩川内市移住セミナー in 東京を開催!

東京・有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」にて、単独移住セミナーを開催します!
薩摩川内市での暮らしの様子や先輩移住者の声をたっぷりとお届けするセミナーとなっています! ぜひお気軽にご応募ください!

・日 程:令和7年12月20日

会 場:ふるさと回帰支援センター

定 員:30名程度

参加費:無料

この他にも、薩摩川内市は都市部で開催される「JOIN移住・交流&地域おこしフェア」「アイランダー2025」(両方ともに11月22日、23日開催)など、さまざまな移住フェアなどのイベントに出展し、出張移住相談を行っています。

都市部に在住されている方の移住に関する疑問・お悩み事などの相談を承りますので、ぜひイベントにお越しください。

詳しくは、薩摩川内市移住定住支援サイトをご確認ください。

 

セミオーダー型移住体験ツアー実施中!

市職員が帯同して市内のさまざまな施設や場所を案内する1泊2日のツアー。
参加者のご希望に応じて、行程をカスタムすることができます。まずはお気軽にご相談ください!

\たとえば、こんな体験ができます!/

✅ 空き家バンク登録物件の内覧

✅ 保育施設を見学

✅ 移住者との交流

✅ 公園散策

✅ 市職員による移住支援制度案内・移住相談 etc.

 

薩摩川内市移住定住支援サイト「よかまちきやんせ倶楽部」

https://www.city.satsumasendai.lg.jp/ijuteiju/

住まい探しや仕事情報、子育てや医療・福祉制度の紹介に加え、地域イベント、観光スポットまで幅広く掲載。移住後の暮らしを具体的にイメージできる内容が揃っています。「奨学金返還支援制度」「定住住宅リフォーム補助金」「UIJターン者家賃等補助金」など移住定住者向けの各支援制度もココでチェック!


【お問い合わせ】
薩摩川内市定住支援センター「よかまちきやんせ倶楽部」
(産業人材確保・移住定住戦略室内)
➿ 0120-420-200
E-mail teiju@satsumasendai.lg.jp

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