【福島県葛尾村】「福島に貢献し、まわりの人たちの生活をより良くしたい」
GIVE&GIVEの精神が広がる「おたがいさま」の村

福島県葛尾村は、阿武隈高地のほぼ中央に位置する人口約1,300人ののどかな村。福島第一原子力発電所の事故により全村避難を余儀なくされ、2016年に一部を除いて避難指示が解除、現在は村内ほぼ全域で居住できるようになったが、帰還した住民は300人強ほど(※2023年3月現在)で、その多くが高齢者だ。

福島市出身の米谷量平まいやりょうへいさんは、2019年3月に葛尾村に移住し、現在は一般社団法人葛尾むらづくり公社の事務局長代理兼葛尾村移住・定住支援センター統括を務めている。前職は新聞記者として葛尾村を取材していた。小さい頃から「大人になっても福島で生きていく」と思い、福島に貢献したいと考えていたという。なぜそう思えたのだろうか。また、なぜ葛尾村への移住を決めたのだろうか。葛尾村への思いを聞いた。

まわりの人たちが自分を肯定してくれていたから、福島に貢献したいと考えるようになった

幼い頃から、地元の福島が大好きだった。「地域のみんなに愛されて育った」と米谷さんは語る。

「親や友達、友達の親御さん、学校の先生や地域の人たちなど、まわりの人たちみんなが自分を認めてくれて、『そこにいていいよ』と肯定してくれていた気がするんです。地域とのつながりを感じていたし、自分は地域にどう貢献できるのだろうかと、自然と考えるようになりました」

高校卒業後は地元を出て、仙台の教育大学を学んだ。当時は教師を目指していたという。

「日本というより福島県という単位で生きていくんだろうと思っていたので、福島県に貢献するためには人を育てる仕事が重要だと思い至り、教師になろうと考えました」

ところが、大学で学ぶうち、少しずつ米谷さんの考え方はアップデートされていく。人を育てる教師の仕事はたしかに素晴らしい。それはいわば、30年後の未来を作る仕事だ。だが、30年もこのまま過ごしていいのだろうか?未来ではなく、今を作らなければいけないのではないか?30年後に子どもたちが大人になった時、果たして日本社会は、今のままで本当に大丈夫なのか?そんな思いが強くなっていったという。

「20代のうちに社会に対して影響力を持てる仕事、福島県に貢献できる仕事はないかと考えた末、地方のマスコミという選択肢が浮かんできたんです。そこで、地方新聞社でもっとも部数が多く、地域において影響力のある福島民報社に入社して、新聞記者になることにしました」

福島の人たちの生活をより良くする。それが自分の生きる道

2009年から記者になり、2013年には本社(福島市)の社会部に配属された。東日本大震災で家族を失った人たちを多く取材し、2016年には田村支局(三春町)の支局長になる。三春町には震災の年から現在まで多くの葛尾村民が避難しており、当時は葛尾村の村役場や小中学校も三春町にあった。これが米谷さんと葛尾村との出会いだった。最初の取材は今でもはっきり覚えているという。

「避難先の仮設園舎で行われた、当時6歳の松本彩楓まつもとあやかちゃんの、たったひとりの卒園式でした。今、彼女は中学生になっています」

葛尾村民ひとりひとりへの取材を通して、避難状況や村民への暮らしぶり、議会の様子など村のあらゆることを伝えていく。次第にこの村で起きていることが自分ごとになっていった。

そうして2019年、新聞社をやめて葛尾村に移住し、葛尾むらづくり公社で働き始めた。記者からの転職は大きな変化に思えるが、そんなことはなかったと米谷さんは言う。

「私がやりたいのは、自分のまわりにいる福島の人たちの生活をより良くすることです。それが自分の生きる道、生きる意味だと思っていて。たまたま10年間は記者の仕事をやらせてもらいましたが、何の仕事をしていてどこに所属しているかは、あんまり気にしていないんです。30歳を過ぎて、自分にできることがもっとあるのではないかという思いが芽生えたこともあるし、葛尾村の人手が足りないこともわかっていたので、できること・やりたいことを求めて葛尾村への移住を決めました」

米谷さんにとっては、教師を目指したことも、地方紙の記者になったことも、葛尾村に移住して葛尾むらづくり公社で働き始めたことも、「福島に貢献し、福島の人たちの生活をより良くする」という同じ道の延長線上にあるということだ。手段は少しずつ変われど、姿勢は一貫している。

失われた伝統芸能を復活させ、村の人たちの歴史とアイデンティティを取り戻す


特産品の凍もち。一晩水につけて戻し、フライパンで焼いて食べる


村内の工場で作られるニットは柔らかくて温かい。葛尾村はニット作りに適した軟水が豊富

葛尾むらづくり公社の仕事は多岐に渡る。復興支援活動や観光再生、移住定住支援や公共施設維持管理などを通した雇用創出、村内の各種イベント運営や復興交流館などの施設運営、村内産品の販路拡大から認知度向上のためのオリジナル商品開発に野菜栽培までと、村づくりのほとんどすべてに関わり、震災後の村づくりの中核を担う機関だと言える。新聞記者とはまったく異なる内容が含まれるが、記者時代の経験と重なる部分も少なくないという。

「新聞記事は単に情報を伝えるものではなく、『こんなことが必要だ』と提言するものでもあります。そのためには、この地域にとって何が必要なのかを突き詰め、地域に寄り添って人々の話に耳を傾け、情報を整理する必要があります。むらづくり公社として事業を行う際も同様の目線が必要なんです。そういった意味では、記者時代と同じスタンスのまま、提言の先を事業として行っている感覚なので、本質は変わりません」

これまでに関わった公社の仕事でもっとも印象的だったのは、江戸時代まで上演されていたとされる能楽「薪能たきぎのう」の復活プロジェクト。薪能とは、主に屋外に設置された舞台でかがり火を焚きながら行われる能のこと。葛尾村では、江戸時代に製鉄業などで栄えた松本一族の屋敷「葛尾大尽屋敷」にて近隣の藩主を招待して能や狂言が鑑賞されていたというが、その記録は1857年頃で止まっている。現在の葛尾村には継承者もおらず、村の伝統は途絶え、また葛尾大尽屋敷跡は明治と昭和の大火で大半の建物が焼失し、公園として整備されていた。一度失われた伝統芸能を約160年ぶりに復活させることで、住民の地域への愛着を深め、復興につなげるプロジェクトというわけだ。


2019年に葛尾村で約160年ぶりに行われた薪能(提供:葛尾むらづくり公社)

薪能復活プロジェクトは村外からも注目され、村民にとっては村の歴史や伝統を改めて考え直す機会になった。このプロジェクトをきっかけに、葛尾むらづくり公社に対する村の人たちの見る目が変わったと米谷さんは感じている。

「公社は2017年に発足しましたが、何のためにある組織なのか、村の人たちにはあまり伝わっていなかったんです。それが認められた事業になりました。能楽師さんや大学の先生たちと連携し、葛尾村の人たちと協力して一緒にやりきれたことが良かったと考えています」

村民の年齢構成が偏っていることが、若い世代にとってチャンスになる

葛尾村に移住して約4年。村には20~30代の移住者が少しずつ増えてきた。しかし、まだまだ働く世代が足りないことが、この村の課題になっている。

「特に現在の40~50代といえば、震災時には30~40代で、小さな子どもがいた世代です。避難先で10年も子育てをして、仕事を含めその土地に生活基盤ができたから、なかなか葛尾村に戻ることができないんですよね。私も子どもを育てる30代の親でもあるので、その気持ちが良く分かります。責任ある立場の世代が少ない現状ではありますが、ポジティブに捉えれば、だから働く世代が足りたいため若い世代も活躍できるチャンスがある村とも言えると思うんです

責任あるポジションを担ってほしい世代が少ないということは、若い世代にとってはチャンスかもしれない。米谷さんも36歳。一般的な感覚からすれば、公社の事務局長代理と移住・定住支援センターの統括をつとめるには少し若い。

「葛尾村は、可能性しかない村だと思うんです。働く世代が少ないことを含めていろんなものがないかもしれないけれど、だからこそ新しいことを自分たちでできる。いくらでもやりようのある、挑戦できる村だと思っています」

また、人が少ないからこそ、都会にはないコミュニティの結びつきがある。日常的に行われる野菜のおすそわけや、引越しの際のさまざまな手伝いまで、地域の人々の結びつきは強い。そういった田舎ならではのコミュニティの中で生きていくためのコツは「おたがいさま」の精神なのだという。ただし、やってもらうことを期待するのではなく、自分が先にやることが重要だと米谷さんは語る。

「私は、誰かのために何かをしたい思いが強く、普段からそれを行動で示そうという気持ちで生活しています。そういった姿を見て周りの方々もいろんなことをしてくれると思うんです。でも、私は誰かに何かを求めているわけではなく、ただ自分がやりたくてやっているだけなんです」

GIVE & TAKEではなく、むしろ「GIVE & GIVE」の精神。その精神が伝播し、与え合う文化が醸成されることで、結果的に「おたがいさま」になる。葛尾村がそうさせるのか、元々の性格なのか、米谷さんの言動には「GIVE」の精神が滲み出ている。

「昔はもっときつい人間だったと思うんです。特に学生時代は、とても不寛容な人間だったと自覚しています。でも、葛尾村に移住してから、『表情が柔らかくなったね』といろんな人に言われるようになりました」

そう語る米谷さんの嬉しそうな顔を見ていると、その表情は今後、さらに柔らかくなっていくんだろうなと思わされる。

文/山田宗太朗 写真/鈴木宇宙

米谷量平まいやりょうへいさんプロフィール:
葛尾村在住。一般社団法人葛尾むらづくり公社事務局長代理兼葛尾村移住・定住支援センター統括。福島市出身。大学卒業後、地元新聞記者を経て、葛尾村に移住。まちづくりに興味を持ち日々楽しみながらより良い地域の在り方について勉強中。妻、娘とともに里山ライフを満喫している。最近の趣味は薪探し。
一般社団法人葛尾むらづくり公社


◎葛尾村の紹介
一人一人の葛尾村の紹介アイディアが尊重される、住人主役のむらづくり
夏季冷涼な気候を活かした農畜産業が盛ん
村内外の移動は、自家用車が主流。
商業施設や医療施設などの生活環境水準も整備されており、最近では移住者も含めたコミュニティ作りに力を入れている

JR船引駅(田村市)~落合(村中心部)でバスも運行しており、定期券などの購入あり

◎葛尾村の移住相談窓口​
葛尾村移住・定住支援センター(「こんにちはかつらお」)
Email k.muradukuri@katsurao-kosya.or.jp
TEL 0240-23-7727
9:00~17:00(年末年始を除く毎日)
https://konnichiwa-katsurao.jp/


ふくしま12市町村移住支援センター
■ふくしま12市町村移住ポータルサイト「未来ワークふくしま」
https://mirai-work.life/
■メルマガ登録募集中!
ふくしま12市町村の移住に関する最新情報をお届けしています!
https://mirai-work.life/forms/newsletter/

                   

人気記事

新着記事