日本三大秘境で叶えたオンリーワンな働き方

宮崎県の北西部に位置し、広大な土地の面積の約96%を森林が占め、神楽や焼き畑などの伝統文化が今もなお継承されている椎葉村農作業などをお互いに助け合う「かてーり」という相互扶助の精神など、秘境と呼ぶにふさわしい歴史と風土がある。
そんな日本の昔ながらの生活習慣や原風景が残る環境に惹かれた移住者が、地域おこし協力隊として活躍している。

その中の一人、2020年に東京から移住した中川薫さんに、日本三大秘境の一つである村で働く魅力についてお伺いした。

ローカルエディター 中川 薫さん
《 椎葉村 地域おこし協力隊3年目 》

【プロフィール】1987年、熊本県出身。高校卒業後、映画監督を目指し、米国と東京で映画製作を学ぶ。その後、東京で映画助監督や撮影スタジオなどでの勤務を経験後、2020年の4月に宮崎県椎葉村に移住。地域おこし協力隊「地域を編集するエディター」として村の魅力を村内外に発信している。

 

キャリアチェンジのきっかけになった一冊の情報誌

「最初に面接で訪れた椎葉村の印象は、山の反り方が凄いな、でした。山深くて、見える空が狭いんですよね。ペーパードライバーだったので、約10年ぶりに運転をしました。移住当初は長距離運転に慣れるのに一苦労。通勤時、狭い道で車同士がすれ違う時には毎回ビクビクしていました」

そう笑顔で話すのは、東京から2020年4月に移住した中川薫さん。熊本県出身で、地元の高校を卒業後、映画監督を目指し米国、東京の映画専門学校で映像制作を学んだ。「映像の世界で活躍したいと考え、映画助監督や、映像制作会社で勤務しながらシナリオ作家を目指すなど、自分なりに東京でもがいてみましたが、なかなか思うようなキャリアを描けませんでした」と、当時を振り返る。

そこで、「別に東京にこだわることはないかも」と地元にも近い九州内で仕事先を探していた時に目にしたのが椎葉村の情報誌『ONLY ONE Shiiba』だ。


厳島神社や夜神楽などの名所旧跡や由緒ある行事だけではなく、村唯一の中学校で寮生活をする子どもたちや山で狩りをする猟師の姿まで収めた冊子には、椎葉村の今が詰まっている

「『この冊子を作りませんか?』という椎葉村の地域おこし協力隊募集の記事を見て、すぐに村のことを調べました。日本三大秘境と言われるような山深い本物の田舎で、こんなに素敵な冊子を作っている人たちがいるのだと、感動したんです」

『ONLY ONE Shiiba』は2016年に移住促進を目的に発行を開始「世界に一つだけの椎葉」をキャッチフレーズに、秘境の村で生活する人々の暮らしや行事を写真と文章で発信し、希望者には全てのバックナンバーを無料で送っている

秘境という未知の環境だけでなく、はじめてのライター業への挑戦は中川さんにとっても一大決心だったが、「こんなに自由度が溢れていて、面白い記事をつくる自治体があるんだ」と心を動かされた。この冊子に自身も携わりたい!と、書きたい気持ちが勝り、新しい一歩を踏み出したのだった。

 

村の生活や歴史を発信し、次の世代へ

椎葉村の地域おこし協力隊は、活動内容や解決課題が決まっているミッション型である。ミッション名は決まっているが、「どう活動するか」の自由度は高く、「クリエイティブ司書」や「ヒトを育てるeスポーツとつなげるプレイヤー」など、ユニークな内容であるのが特徴と中川さんは言う。

中川さんが応募した地域おこし協力隊のミッション名は「繋ぐローカルエディター」で、村外のデザイナーが手掛けていた『ONLY ONE Shiiba』の取材や編集を、中川さんが村に常駐してその地域の魅力やコンテンツを集めるというもの。最初の数ヶ月は、村の生活に馴染むことから始めていった。

「コンビニもない場所ですが、不思議と暮らし方にギャップを感じなかったですね。移住直後から協力隊の先輩が村内を案内してくれたり、村の人と繋げてくれるなど手厚くフォローしてくれたんです。そのおかげで人間関係は思ったよりも早めに築くことができて、とても楽しく仕事ができています」

ライターとしての仕事は、村の広報誌の取材執筆を手掛けることからスタート。はじめて握った一眼レフの使い方を一から覚え、取材ごとに土地の歴史の背景なども一つ一つ勉強しながら着実にできる仕事を増やしていった。


相棒の一眼レフカメラを手にして、取材で村内の至る所へと足を運ぶ中川さん。

「『椎葉厳島神社で“茅の輪くぐり”という季節イベントをやるから写真を撮りにおいで』と誘われたのが、『ONLY ONE Shiiba』に関わった最初の記事です。時には『え、こんな所に家があるの!?』と思うような山里深い奥地に出掛けることもあります。村唯一の中学校にある寮の取材は、特に印象に残っています」

現在は、地域おこし協力隊として3年目を迎え、副業としてメディアプラットフォーム「note」で村の魅力を伝える記事の作成中学校のキャリア教育サポートに関わるなど、活動の幅をさらに広げている。


世界に一つだけの椎葉 椎葉村公式note

「今では移住促進だけではなく、村民にとっての地域資源の価値の見直しや、文化、生活、暮らし全般を記録することも協力隊の活動に含まれています。村には『この世代が死んでしまったら、もうなくなるよね』みたいな風習などが山程あるので、それを記録し残していくことも私たちの重要な役割です」

共に生活する村民一人ひとりの声に丁寧に耳を傾け、ありのままの姿を記録する。村の歴史と今を発信するエディターとして、村になくてはならない存在となっている。

 

秘境の中で築かれてきた人と人との繋がり

中川さんが感じる椎葉村の最も大きな魅力は「せかせかせずに、みんな気持ちが温かいんですよね」という穏やかな人柄だ。

「村では車同士で通り過ぎる時に『誰かな』って互いをじっと見るんですけど、移住当初は住民全員が知り合いという環境に戸惑いもありました。しかし、慣れてくるといつでも見守ってもらっている安心感があります。台風で被害にあっても都市部だったら役所に電話して終わりでしょう。でも、椎葉村の地域住民たちは自分たちの手で集落の土砂をどかすんです。『言うよりも自分たちがまず動く』という逞しさには驚かされるばかりです。自分の家が終わったら今度は隣の家を助けに向かうというのも、当たり前なんですよね」

椎葉村は、そんな土砂災害などの被害とは隣合わせの秘境だ。限られたコミュニティーの中で互いに助け合うことが日常となっている生活に、中川さん自身も身を置いてきた。「道ですれ違ったら知らない人でも必ず挨拶するし、人に親切にされてもされなくても優しく配慮した行動ができるようになり、自分自身の人としてのベースが上がった」ことを実感しているという。

 

また、都市住民を地方自治体が受け入れる地域おこし協力隊の活躍には、受け入れ先の役場との良好な関係性は欠かせない要素だ。

役場の担当者は、私たちの意思をとても尊重してくださります。相談すれば時間が許す限りとことん話を聞いてくれたり、自分たちが思ってもない視点からアドバイスをくれるので、本当に恵まれているなと感じています」

心の広い人たちに囲まれて安心して生活ができる環境に加えて、理解力のある自治体の存在、そして、それぞれの分野に特化した面白い経歴を持つ仲間たちの支えも心強い。

面倒見の良い地域おこし協力隊の先輩が多いので、副業を紹介してもらったり仕事でお世話になったりすることも頻繁にあります。活動の途中で新たな人材が必要になった時も『この分野はあの子に頼もう』というように関心を持って協力してくれるメンバーがいるので、アイデアや仕事が横の繋がりで広がっていくことが多いですね」

人と人の繋がりの好循環が他の自治体の平均に比べてきわめて高いということが、地域おこし協力隊定着率を向上させ、村をさらに面白くしていく。

 

秘境で手にした自分を必要としてくれる居場所

「車同士がすれ違う時の『クラクションを鳴らして、「ありがとう」を伝える』みたいな、あの瞬間が結構好きなんですよね」と中川さん。苦手だった運転の時間も今では地域住民との繋がりを感じる瞬間になっている。

「今週末には友達のお子さんが神楽を舞うので見に行く予定です。休みの日には大好きな映画をネットで自由に楽しめる時代に感謝しています。住居に関する支援もあるので、東京で働いていた頃よりも貯金ができるなど、ワークライフバランスが改善して無理なく働けるのは最高です

そう笑顔で話す姿が充実した椎葉村ライフを物語っている。

「椎葉村に来て、仕事や生きていく上でのやりがいといったものは、都会にいる時よりだいぶ増えたと実感しています。協力隊の先輩ともよく話すのですが、都会の中にいると、精一杯自分が頑張っても上には上がいて、自分の力を発揮できないもどかしさを感じる瞬間もあります。でも村では『これができる人っていったら、もう私しかいない』という活躍できる居場所があると感じています。お世話になっている方々や私を頼りにしてくれる方々に、3年間だけで『はい、さよなら』はとてもできなくて。できる限り長くいたいなと思っています」

通常の椎葉村の協力隊任期は3年だが、コロナ禍の影響を考慮した特別措置を利用して任期をさらに1年延長した上で、任期終了後も村に定住する予定だ。今ではライティングだけではなく動画制作も行っており、今後はより多面的な形で移住促進の窓口を担っていく。

最後に中川さんがこれから椎葉村でやってみたいことを聞いてみた。

「せっかくこんなに自然の資源があるから、釣りや山登りをすればいいんですけど、なかなかインドア派なもので。でも今度は私も大好きなサウナが村にできるんですね。コンペで選ばれた2つのすばらしいデザインで、サウナの後には川に飛び込めばいいし。完成したら体験レポートみたいな感じで絶対に記事にしますね

日本三大秘境で今後も残していきたい営みと、ゆっくりと変わっていく日々の暮らし。そんな村の日常を存分に楽しみながら、これからも椎葉村の魅力を発信し続けていく。

 

取材・執筆:日高智明
構成:田代くるみ(Qurumu)
撮影:田村昌士(田村組)

 

– 椎葉村とは –

九州のほぼ真ん中に位置し、 「日本三大秘境」と呼ばれる椎葉村。広大な自然と伝統芸能が昔から受け継がれ、古き良き日本の原風景を見ることができます。

 

◆ 椎葉村交流拠点施設Katerie ◆

「新しいって、懐かしい」をコンセプトに、未来への巣箱をイメージした交流施設。新感覚の図書館も併設。

◆ 世界農業遺産 焼畑農業 ◆

縄文時代から続く伝統的な焼畑農業は、日本で唯一伝承されている事例として貴重です。

◆ 日本初の巨大アーチ式ダム ◆

椎葉村の中心地に鎮座する上椎葉ダムは、多くのダムマニアから「閣下」と敬愛されています。

 

【問い合わせ先】
椎葉村地域振興課 企画グループ
宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良1762番地1
TEL:0982-67-3203
Mail:shiibaweb@vill.shiiba.miyazaki.jp

                   

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