あたりまえが、とくべつ。
今こそ、福島県浜通りの笑顔に会いにいこう。
浜通り体験取材ツアーvol.1

東北と関東の境目に位置し、西にはおおらかな山容の阿武隈山地、東には広大な太平洋をたたえる福島県の浜通り。東北地方ながらも穏やかな気候で、冬暖かく夏涼しい、とても過ごしやすい地域だ。

2011年の東日本大震災では、津波や原子力災害により甚大な被害を受け、浜通りの多くの住民が避難を余儀なくされた。その影響は、震災が11年が経つ現在でも大きな爪痕を残している。
一方で、実際に浜通りを訪れてみると、復興の兆しがあちらこちらで芽吹いている様子も。

今回はいわき市から南相馬市まで、直線距離にしておよそ65kmにわたるエリアを3日間かけて巡り、「いま、そこに、あたりまえにある浜通り」の様子を、見て、聞いて、感じてきた。
震災で一度、「あたりまえ」を失った浜通り。困難な状況から立ち上がり、新たな「あたりまえ」を作り出そうとするその姿は、新型コロナで傷ついた今の社会に何かを訴えかけているようでもあった。

ぜひ、等身大の浜通りの姿を、みなさんにも感じ取っていただきたい。

 

そもそも福島県の浜通りってどんなところ?

「そもそも『浜通り』ってどんなところ?」という方のために、まずは簡単に浜通りのご紹介を。

東北6県の中で最も南に位置し、北海道、岩手県に次ぎ全国第3位の広大な面積を有する福島県。その福島県の東側、太平洋に面した地域が『浜通り』と呼ばれる地域だ。13の市町村からなり、北の相馬地方、真ん中の双葉郡、南のいわき市の三つのエリアで構成されている。

浜通り沿岸の太平洋の海は『潮目の海』と呼ばれ、北からの寒流である親潮と、南からの暖流である黒潮が交わる好漁場。豊富な魚種を要し、潮目の海で獲れた魚は『常磐もの』と呼ばれ、東京の築地市場でも高値で取引されていた。

いわき市の小名浜漁港 (撮影:久保田貴大)

また、近代に入ってからは常磐炭鉱が発見され、首都圏から最も近い産炭地として日本の近代化を支えた。東京の上野から浜通りに伸びるJR常磐線は、常磐炭鉱で採れた石炭を首都圏まで運搬するために整備されたとも言われる。戦後は衰退した常磐炭鉱に代わって、原子力や石炭火力発電所が立地し、首都圏のエネルギー需要を支え続けてきた。こうしたこともあり、震災前の福島県は全国の中でもトップレベルの電力供給量を誇っていた。

いわき市、勿来火力発電所(撮影:久保田貴大)

しかし、2011年の東日本大震災では高さ10m以上にも及ぶ大津波と、その後の福島第一原子力発電所の事故により、浜通り地域は壊滅的な被害を受ける。多くの住民がふるさとからの避難を余儀なくされ、一時、全ての住民が町や村からいなくなったところもあった。
その後、避難指示が徐々に解除され、2022年2月現在、帰還困難区域を除いて多くの地域がまた住めるようになっている。

避難指示が解除されたエリアでは着々と新たなまちづくりが進められ、これまでの歴史を受け継ぎながらも、次の一歩を踏み出す取り組みが数多く生まれている。

 

(撮影:久保田貴大)

今回の記事では、そうした取り組みに携わる地域の方々にフォーカスし、浜通りで営まれる生活の息づかいを、みなさんにお伝えできればと思っている。それでは、3日間の旅の初日。浜通りの玄関口であるいわき市からスタートしていこう。

 

1日目 いわき市・ワンダーファーム

まず一番最初に向かったのは、常磐自動車道のいわき四倉ICを降りてすぐのところにある、体験型のトマト農園『ワンダーファーム』。

ワンダーファームは広大な敷地にハウス農場と直売所、さらにはレストランも併設し、まさにトマトをまるごと感じられるテーマパーク。地元の方から観光客まで、多くの方が訪れるいわきの中でも有数のお出かけスポットだ。

今回は代表の元木寛さんに施設の中をご案内いただいた。

元木さんは浜通り、双葉郡の大熊町出身。元々は東京の鉄道会社に勤務していたが、奥様のお父さんに誘われて、いわきで就農することに。

就農当時は米をメインに取り扱っていたものの、冬暖かく、夏涼しいいわきの気候がトマトの栽培に適していることに目をつけ、作物の転換に着手。次第にトマトの作付け面積が拡大していく中、いわき市内の他のトマト農家とも協力して『いわきサンシャイントマト』のブランドを確立させた。

しかし、2011年の東日本大震災では栽培施設が被災。また、原発事故による風評被害もあり、トマトが全く売れない状況になってしまった。大事に育てたトマトも、売れないので捨てるしかない−−−。こうした状況に心を痛めた元木さんは、廃棄予定のトマトを福島県内各地の避難所に配ることを思いつく。

「自分で作ったものを捨てるっていうのは、やっぱり心が痛みました。だからどうせ捨てるくらいなら、食糧に困っている避難所に配ろうと思って。毎日1トンとか2トンとか獲れるトマトを福島県内の避難所に配りまくりました。しばらくして、震災の被害が長引く中で『うちももう畳むしかないな』と思ったタイミングがあったのですが、そんな時に避難所でトマトを食べてくれた方が少しずつ直売所に訪れてくれるようになりました。それがあったからこそ、今もトマト栽培を続けられています」

元木さんはこうした経験をきっかけに、元々思い描いていた「農業を軸とした地域の活性化」を実現させるため、ワンダーファームを設立した。

先にも述べたように、ワンダーファームには「農園」「直売所」「レストラン」の3つのエリアがある。いずれのエリアもいわきや浜通りの「食」を、肌で感じられるような工夫が散りばめられている。

例えば、昨年4月にリニューアルオープンされたばかりのレストラン『CROSS WONDER DINNING(クロスワンダーダイニング)』では、敷地内の農場の採れたてのトマトはもちろん、いわき市内の漁港で水揚げされた海産物や、県内の養豚場で育てられた『麓山(はやま)高原豚』を使用したメニューを取り揃えている。

このように、自社製品だけではない、地域の産品を積極的に扱うことで、地域の一次産業を底上げしていきたいという。元木さんは、「地域の活性化には、つねに農の営みが軸にある」と力を込めておっしゃっていた。

「農業が活性化していかないと、地域そのものが荒れていってしまいます。地域の綺麗な水や美しい風景を作り出しているのは、やっぱり地域の農家の方々なんです。農家が農業をやめてしまえば、田畑は草が生えて荒れていってしまう。田畑には山に降った雨をろ過するフィルターの役割もあるので、必然的に下流にある川や海も荒れていってしまいます。そうすると、近い将来地元のものが食べられなくなってしまうだけでなく、地域の環境自体が変わってしまいかねない。農業から地域を活性化するって、本当に大きなテーマではあるけれど、地道にでもやっていこうと思っています」

近年は、SDGsや循環型社会などといったキーワードが盛んに唱えられるようになった。そんな中でも、自然相手の農業の現場においては、人間の営みと自然の営みがいかに密接かということを肌感覚で感じることができる。元木さんにお話を聞いているとワンダーファームは、観光という入口から、農や地域づくりの真髄に触れることができる、他にない魅力を持った施設であり、浜通りを訪れる際には必ず立ち寄りたいスポットの一つだ。

 

広野町・トロピカルフルーツミュージアム

ワンダーファームをあとにし、いわき四倉ICから常磐自動車道で北へ向かう。四倉ICの次にある広野ICで高速を降りると、東京電力広野火力発電所の大きな白い煙突が目の前にそびえ立っている。その麓、二ツ沼総合公園の中の、『トロピカルフルーツミュージアム』という施設に到着した。

こちらでは広野町オリジナル品種のバナナ『朝陽に輝く水平線がとても綺麗なみかんの丘のある町のバナナ』、愛称『綺麗』が栽培されている。

それにしても、この『朝陽に輝く水平線がとても綺麗なみかんの丘のある町のバナナ』(愛称『綺麗』)という名前、インパクト抜群だ。施設を案内していただいた、広野町振興公社の幸森千尋さんによると「名前の発表をした時、福島県知事も同席していましたが、最初名前を聞いた時はポカンとしていました(笑)」とのこと。

しかし、このながーい名前と同様、『綺麗』に込められた想いには語り尽くせぬものがあるようだ。

広野町は温州みかんの栽培の北限と言われ、東北に位置しながらも温暖な気候を特徴としている。そんな広野町で、震災後の新たな産業を生み出そうと、熱帯のフルーツであるバナナの栽培を試みることに。ただ、温暖とはいえ流石に東北の地。露地栽培はできないので、地中熱を利用したハウス栽培と、岡山で長年かけて開発された植物品種改良技術『凍結解凍覚醒法』による苗が採用されることとなった。

広野町は2050年までに二酸化炭素排出ゼロを目指す、「ゼロカーボンシティ宣言」の町。通常ハウスの暖房には石油が使用されるが、ゼロカーボンでの栽培を目指し、こちらでは地中熱を利用している。たしかにハウスの中は外の環境と比べるとだいぶ暖かく、メガネが曇るほどだ。

そして『凍結解凍覚醒法』は、いちど苗を−60℃の環境にさらし、その中で生き残った苗だけを植え付けて栽培するというもの。幸森さんは「震災という苦難を経た広野の人たちと、厳しい環境で生き残った『綺麗』のバナナは重なるところがある」という。

こうした独自の製法で栽培されたバナナは高い糖度が自慢。また、農薬を使っていないため、ポリフェノールたっぷりの皮まで食べられると安全性をPRしている。

『綺麗』はトロピカルフルーツミュージアム内で、週末限定で購入が可能であり、ハウス内の見学も随時受け付けているとのこと。取材ではまだまだ語り尽くせぬ想いをお聞きしてきたが、文字数の都合上で掲載しきれないので、ぜひトロピカルフルーツミュージアムに直接足を運んでほしい。

 

楢葉町・結のはじまり

次に向かうのは、サッカーのナショナルトレーニングセンター『Jヴィレッジ』を挟んで、広野町のすぐお隣。楢葉(ならは)町の“発酵スナック”『結のはじまり』だ。

2017年の9月にオープンした『結のはじまり』は、首都圏からの移住者である古谷かおりさんが女将として店の切り盛りをしている。当初は原発で働く作業員の方と地元の人をつなぐ場として開店。その後、除染作業の進展などもあり、作業員の方が来店することは少なくったが、町の人が集ってお酒を飲んで語り合うコミュニティスペースとして、地域と相思相愛の関係の中で営業されている。

コロナ禍になってからは、新たに『結DELI』と名づけたお弁当の配達も開始。発酵食品をメインに扱った、体に優しいお弁当を地域の人たちに直接届け、新たな形での「コミュニティの発酵」を目指している。

古谷さんは結のはじまり以外にも、地域で活躍する若者にシェアハウスを貸し出す事業も行っている。楢葉町は廃炉作業等で住宅ニーズが増加し、他の地域に比べると家賃相場が高く、若者にとっては楢葉に住む際の大きなハードルとなる。だが、古谷さんが運営するようなシェアハウスがあることで移住のハードルが下がり、町に新たな交流が生まれるきっかけとなっている。

飲食店とシェアハウスの運営という、二足のわらじで楢葉に人と人の出会いを生み出し続けてきた古谷さん。すると、この活動に呼応するかのように、楢葉町はこの春、移住や多拠点居住等を検討する人へのお試し滞在拠点・居住拠点を提供しようと、シェアハウスの整備に乗り出した。そして、古谷さんはこのシェアハウスの運営を委託されることになったのだ。

楢葉町と協議を重ねた上で、こちらの空き旅館を「まかないつきシェアハウス」として運営することにした。住居スペースに加えて、住人が飲食をともにできる食堂、さらにはゲストハウスの機能も持たせる計画だという。現在、改修作業を急ピッチで進めていて、入居希望者とともにDIYでシェアハウスづくりに取り組んでいる。ここを拠点に、きっと新たな出会いやカルチャーが生まれるのだろう。

「これまでは結のはじまりとシェアハウスをそれぞれ別々のものとして運営してきましたが、結のはじまりで手一杯になってしまい、シェアハウスの住人達と十分に交流できなかったという後悔がずっとありました。新たなシェアハウスでは、食と住居の組み合わせにより、理想的な『発酵するコミュニティ』の場を提供できたら良いなと思っています。」

さまざまな形でコミュニティの場づくりを実践してきた古谷さん。お話の最後に、楢葉や浜通りの魅力について伺った。

「楢葉や浜通りは一度、当たり前の生活が当たり前じゃなくなった経験をしている場所。でも、だからこそ、その当たり前のありがたさがわかるのが、ここのいいところだなと思っています。山や川や海が当たり前にあって、そこでいろんな遊びができたりとか、地元でとれたおいしいお米が毎日食べられることとか。いろいろ課題があって、なかなか飛び込みづらい地域ではあるかもしれないけど、それでも、まずは一歩踏み出してここに来て!って声を大にして言いたい。料理は私が出しますから!(笑)」

普段何気なく暮らしていると、美しい自然があること、毎日ご飯を食べられること、決まった時間に電車がくること、いろんなことをついつい「当たり前」にしてしまう。だが、震災を経験した浜通りを訪れると、そうした「当たり前」がいかに「特別」であるかということを、強く感じることができる。楢葉は東京から常磐線一本で行ける場所にある。まずは古谷さんの笑顔に会いに、みなさんも楢葉を訪れてみてはいかがだろうか。

 

だんだんと空が夕焼けに染まり、1日目の旅程もいよいよ佳境に。一行はさらに北へと車を進め、原発事故の影響が今も色濃く残る富岡町、大熊町へと向かっていく。

 

vol.2へつづく。

 

文:久保田貴大 写真:アラタケンジ

                   

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