妙高市南部地域。冬になればまちは雪で覆われる雪国です。目の前の景色は白一色、地面は消雪パイプで赤茶色になり、長靴と防寒着なしには暮らすことができません。都会とは言えないこのまちも、実際に訪れてみれば冬の妙高山の美しさに心を奪われ、居場所ができれば「住めば都」になると話すのは大阪から移住をした平出 京子さん。
お寺の再興、子ども食堂のオープン、養子縁組で親になったこと。移住してからの9年間を振り返ります。
【プロフィール】
語り手:平出京子(ひらいで きょうこ)さん
あいあう食堂 実行委員会 代表
真宗大谷派 大高山 願生寺 坊守2010年12月、大阪から新潟県妙高市除戸へ移住。廃寺の危機に瀕していた願生寺の再興に住職と共に尽力。「人が集まってこそお寺」という想いから、地域の人が集まられるイベントや催しを実施。2017年9月に子ども食堂「あいあう食堂」をオープン。
お寺の再興を手伝って欲しい
「『お寺をやることになったから手伝ってくれないか』って、今の夫から連絡があったのが10年前のことでした」
20代の頃、共に時間を過ごしたパートナーから十数年ぶりの連絡が妙高市への移住のきっかけになりました。当時はまだ無住のお寺(※1)になっていた願生寺を継ぐことになったパートナーの坊守(※2)として妙高市での暮らしが始まります。
※1 住職がいないお寺
※2 坊守(ぼうもり)は僧の妻、お寺を守る人
大阪から雪国への移住
「田舎暮らしに憧れていましたし、大阪での仕事に行き詰まりも感じていて、抵抗はありませんでした。身辺整理をして1ヶ月後には妙高市に移住したんです。ただ、仕事としての『手伝って欲しい』かと思ったらプロポーズだったみたいで」
荒れたお寺を2人で再興していくことが、移住をして最初の仕事になりました。
茅葺屋根の古い古民家、部屋の中を鳥が飛ぶような家をリフォームしながら半年間はゴミ捨ての日々。誰も来ない参道を整備して、なくなった行事を少しずつ再開し、女性や子供が気軽に来れるような催しをする。廃れてしまった大きなお寺を立て直すのは大変なことでした。
“50年に一度”の本堂の改修まで10年かかった
「地域の中のお寺の役割は、”心の拠り所”であるべきだと思うんです。でも、9年間じゃ全然足りなくて、何世代もかけてつくっていかないといけない。一度途切れて心が離れてしまった人たちにまた来てもらうには、長い時間がかかるんです」
気軽に人が来れて、自分の居場所になるようなお寺にしていきたい。そうした平出さんの願いが形になったのが「あいあう食堂」でした。
家でも学校でもない第三の場所を持って欲しい
全国的にも活動が広がっている「子ども食堂」を聞いたことがあるのではないでしょうか。核家族化が進む中で、共働き家庭に育つ子供たちの「孤食」が社会問題になっています。そんな中で無料・低価格で子供たちに食事を提供するコミュニティを指すのが子ども食堂です。
寺が持つ広さも、子ども食堂を始める理由になった
「大阪という人が多いところで育ちましたが、私の家庭は浮き沈みが激しく、人との繋がりが絶たれてしまった時期もありました。あるお寺のご法話で『子供が1人で行ける食堂だよ』という話がそういった原体験と重なって、始めるきっかけになったんです」
貧困家庭に対する食事提供という側面もある子ども食堂ですが、妙高市は雪国ということもあって遊ぶ場所がない、都会と違って友達の家を行き来する環境がない中で「貧しくはないけど、心がスカスカしている子供もいる」ということに気づき、市民活動の一環で始まりました。
「子供って宝物じゃないですか。子育てに悩んでネグレクトや虐待されてしまう子供がいる。家と学校に居場所がない子供がいる。でも声をあげられない。そういう子供たちのサードプレイスになってくれたらいいなと」
手配りでチラシを配ることから始め、少しずつ参加する子供が増え、関わる人も増えてきます。
こうした子ども食堂は新潟県内に73ヶ所(2020年12月現在、休止中含む)、地域と子育て世代の繋ぎ役として活動している中、妙高市の『あいあう食堂』では妙高市立新井南小学校区の住民を対象としており、フードシェアリングについては妙高市全域のひとり親家庭を中心に支援しています。
『あいあう食堂』HPより
「『あいあう食堂、一緒に行かない?』って、参加した子供が友達を連れてきて、得意気に説明しているのを見ると、嬉しいですね。それから、子供のために始めた活動でしたが、始めてみると定年退職した方や高齢者の方が手芸を教えに来てくれたり、子供たちと遊んだり、張り合いになっています。結果的に『子供たちに救われている』のかなって思いますね。」
子供に何かをしてあげたい。そう思っている人が、このまちに大勢いることが見えてきた平出さん。それは養子縁組で親子になった自分の子育ての環境とも重なるのだそうです。
「私たちには、特別養子縁組で親子になった長男と、まだ正式な家族になれていないけどもう1人。2人の子供がいます。子育てをしていると、周りの高齢者の方々が自分の孫のように可愛がってくれる。そういう土地柄なんだと思います」
2017年9月に『あいあう食堂』をオープンして4年目、コロナ禍を経て見えてきたのが、こういった地域性と「ひとり親世帯」をどうやって繋げていくかということでした。
「ひとり親世帯」を孤立させない地域に
コロナ禍によってあいあう食堂は休止になりました。しかし、新たな取り組みとして「フードシェアリング」(※3)を始めるきっかけにもなったのだそうです。
※3 食品ロスとなりそうな食品を生活者へ届けること
「フードシェアの取り組みを始めて、寄付が倍増したんです。『うちの米を使って欲しい』そういう連絡を受けて、取りに伺うと地域を救って欲しい、子供たちに届けて欲しい、そういう気持ちを持っている人たちがいるんです」
フードシェアによって集まった寄付
テイクアウトで子供食堂を再開
「お米は想い」だと平出さんは話します。そういった想いを預かって、どうやって表現していくかを日々考えると繋ぎ役を担うことだといいます。
「大阪って『おせっかいのまち』なんです。その「おせっかい気質」を持ち込んで、しがらみのない私たちが、旗振り役になって地域の想いや人との繋がりをつくることをしやすい。お寺という場所が広いのも仏法を聴聞するために人が多く集まる場所だから、そういうことに取り組める場所と時間を与えてもらえたのは、妙高に来て良かったと思えることの一つです」
地元のNPOや市の協力を得て、日用品や食品を不定期で届けるフードシェアリングの支援を受けたいひとり親世帯は、市内で34世帯にまで増えました。
フードシェアリングの仕分け作業
「支援を受けるべき人で、声をあげられない人もいる。そういった人を見つけだしてあげたい。そして、そういう家庭は都心にも大勢います。食べるものがない、孤独だ、そういうことが妙高市に来れば解決することがたくさんあるんじゃないかと思いますよ」
都会では埋もれてしまう孤独も妙高市なら
大阪のおせっかいを持ち込み、子供も親も孤立させたくないと活動を続ける平出さん。子ども食堂やフードシェアは手段の一つで、根幹には「地域にとっての心の拠り所になりたい」という想いがありました。
もし、都会で孤立しているなら、妙高に来たっていい。居場所も、住む場所も、食事もなんとかしてあげたいという地域の想いを形にしています。
「住めば都じゃないですけど、いいところですよ。雪があるから、春がいい。初めての春に、 “こんなに花が咲くんだ”って感動しました。困っている人がいるなら、放っておかない。そういう地域が持っているものの繋ぎ役に、この場所がなれたらと思います」
人が多くいる都会だからといって、繋がりがあるとは限りません。
どこで暮らし、どんな繋がりの中で生きるのかを選ぶとき、自分が本当に心を拠せられる場所を目指すことも一つの選択です。
■開催日:毎月第1金曜日 午後5時オープン
■場所:願生寺(妙高市除戸680)
■参加費:こども無料 おとな200円あいあう食堂実行委員会
代表:平出京子
住所:新潟県妙高市除戸680番地 願生寺内
お問い合わせ:aiausyokudou@gmail.com (電話 080-3826-9591 平出)
\みなさまからのご寄付を募集しております。/
◎ゆうちょ銀行
【記号】11210 【番号】37277701
【口座名義】あいあう食堂実行委員会
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文/大塚眞
写真/ほんまさゆり