張り子で作る伝統の赤べこ
それぞれの事業のこれから

会津に古くから伝わる郷土玩具、赤べこ。400年以上の歴史がありながら、伝統的な張り子製法で作っているのは今は会津で2軒のみ。

今回はその2軒、笑美わらび(荒井工芸所)」「手作り体験ひろば 番匠」を訪問。それぞれの歴史や現状を伺いながら、時代の変化にどう対応し、民芸品を販売しているのかを取材しました。




福島県 会津若松市 荒井政弘さん

明治の始まり頃から張り子屋として民芸品を作ってきた「笑美(荒井工芸所)」。会津若松駅から徒歩13分ほどの場所に、お店兼工房を構えている。

スタッフは、6代目の政弘さんと先代のご両親、他2名と内職の方々。決して多くはない人数で、毎日の製作、新しい製品の開発、ネットショップ運営、子どもが自由に絵付けできる体験教室の開催など、日々新しいことに取り組んでいる。

 

工芸品にはもっとPRが必要

福島県は、会津藩の施策で下級藩士に内職をさせていたことから、多くの民芸品が存在しています。福島県が伝統的工芸品に指定したものだけで40品目あり、漆器、木工品、織物など、会津の人々の生活に根付いてきたものばかりです。

店番をしながら赤べこに色を付けるお母さん。

先日取材した起き上がり小法師同様、今回の赤べこも「縁起物」とよばれるもの。

昔からの風習ではあれど、若い人には縁遠くなっているといいます。

「時代とともに売り方が変わってきたのを実感しています。各地のデパートで開催される物産展が大きな収入源でした。でも今は人々がデパートに行く機会が少なくなった。それに、民芸品は旅先で買ってこそ価値があるものだと、近所のデパートでわざわざ赤べこを買わないんです。震災の前くらいから地方出店はやめました」
ただでさえお土産や民芸品が売れなくなっている近年。追い討ちをかけるようにコロナがやってきたためイベント出店ができなくなり、店舗での売り上げも大幅減。
売り上げの多くを担う観光業が機能しないのは痛手です。

大変な中、頑張るみなさんへのメッセージ

 

新しいアイデアは積極的に取り入れる

赤べこは、子どもの誕生を祝い、丈夫に元気に育ちますようにと願いを込めて贈られる会津の民芸品であり、郷土玩具。赤ちゃんをあやすためにカクンカクンと動く首が愛らしく、今では会津土産の定番ともなっています。

平安時代に疫病を払った赤牛の伝説から、魔除けや疫病退散を願う縁起物でもあり、体にある斑点は疫病である天然痘の印。赤色は魔除の色という説のほか、ろうそくを灯した暗い部屋でもはっきりと見えるように塗られた、とも言われています。

伝統の赤べこに次いで、インテリアにも馴染む柿渋べこは大人気

笑美では、伝統的な赤べこ以外に、渋柿の汁で染めた柿渋べこが大人気。他にも、めたりっくべこ、金くま、パンダなど、なんとも愛くるしい “新しい張り子” を産み出し、若年層をはじめとする観光客に人気を呼んでいます。

「複数カラーバリエーションを作った『めたりっくべこ』などは多く売れていますし、今後もどんどん新しいアイデアは取り入れていきたいです。実際は通常のラインナップの製造だけでかなり忙しいので、なかなか生産できてはいないのですが……」

また、子どもたちが参加できる赤べこの絵付け体験も開催。赤だけに捉われず、好きな色や柄をつけてもらう体験は大人気なんだそう。

パンダやくま、カラフルな赤べこもよく売れている

人員の安定、生産のバランスは課題

すべて手作業で製造していると、機械のように手間暇をかけず量産することができません。
素地は内職に作ってもらい、5名いるスタッフで作業を分担したとはいえ、店舗・ネットショップで販売する商品や卸し分を合わせると結構な量になります。

「赤べこの内職はそれなりに場所も必要ですし、それぞれに家庭や仕事の事情もあるので、安定して製造してもらうのが結構大変です。一度始めると続けてもらえることが多いのですが、適性もあるので続かないこともあります。正規で雇用すると生産量は増えるけれどまとまったお金もかかるので、さらに販路を開拓するなど工夫しないといけない。バランスに悩みます」

今後も、昔ながらの製法は守りつつ、新しい時代にどのような商品が受け入れられ、喜んでもらえるか。試行錯誤は続きます。

 


 

福島県 会津若松市 須藤繁雄さん

続いて、会津若松駅から車で約10分、須藤さんが営む「手作り体験ひろば  番匠」を取材しました。
スタッフは須藤さん夫妻と3名のスタッフの計5名。張り子で作る赤べこのほか、神様(人)の形をした民芸品の会津天神を製造しています。

名前の通り、赤べこの手作り体験がメイン事業。修学旅行生、団体ツアー客を対象に、一度に350名の受け入れができる大規模体験教室を一代で築きあげ、店を営んでいます。

 

観光に目をつけ、一代で築いた体験事業

須藤さんが営む「手作り体験ひろば 番匠」のメイン事業は、赤べこの手作り体験。
木型に和紙を張り、型を取り出して張り合わせ、下塗り赤塗りをし、絵付けをする。昔ながらの張り子の製法は手間がかかりますが、ひとつずつ違った形や表情があり、眺めていると愛着が湧いてくるのが不思議です。

体験では、絵付けをするところからスタート。それまでの工程や、職人の話を聞きながら、自分だけの赤べこを作ることができ、会津の思い出作りにはぴったりです。
訪れる子どもも大人も、みんな真剣な眼差しで作業しながら楽しんでいくそう。

 下塗りを終えた赤べこ。受け入れ前の準備も大量です

店舗・工房・体験教室をそなえた建物は立派な2階建て。教室は最大350名まで受け入れ可能で、毎年春から秋にかけて、多くの修学旅行生が訪れます。

広々とした教室スペースが2つも

約50年前、知人から赤べこの木型を受け継ぎ、小さなプレハブ小屋で張り子赤べこを作り始めた須藤さん。
製造と販売を20年ほど続けたある日、転機が訪れます。

それは、会津地方出身で大手旅行会社に勤める方との出会い。「これからの時代、バスガイドが街を先導して案内するような修学旅行は終わる。自分で調べて足を運ぶ自主学習や、目当ての場所へ体験に行く教育旅行の形に変わっていく!」と助言を受けました。
そこで須藤さんは一念発起し、広い教室を備えた工房を建てたのです。
結果、大手旅行会社と事業提携をすることに。国内でも、旅行会社と民芸体験の提携ではいち早い事例だったそうです。

「忘れもしないのが、大手企業の社員旅行で全員に赤べこ作りを体験させたいと、1週間で1,000人を受け入れたこと。当時は借金をして大きな教室を作ったので、提携はとても有り難かったです」

事業は一点集中、無理な拡大はしない

決して単価の高くない民芸品で、大きな柱となる事業の確立に成功した番匠。しかし観光事業だけに、今年はコロナの影響が大きく出たといいます。

「店舗や、卸しているお店の売り上げはもちろん下がりました。春から夏にかけては、体験や修学旅行がほぼ全滅です。秋頃から修学旅行や団体客が動き始め、10.11月はおかげさまで忙しかったのですが、ソーシャルディスタンスで一回の受け入れ数を半分にしているので、やはり厳しい状況です」

元の受け入れ規模が大きいだけに、痛手が大きいことが想像できます。

真剣な表情で赤べこ作りを体験する小学生

新しい民芸品を作ったり、ネットを活用したり、今後に備えて新しい事業展開を考えているのか、伺ってみました。

「うちは昔ながらの赤べこしか作れないし、何か新しいものに手を出す予定はないです。ネットも得意ならいいけれど僕たちはできないし、とてつもない時間がかかってしまう。覚えるのも大変だから、電話とFAXで充分です。もし誰かにサポートしてもらってネットショップを持てたとしても、製造や発送は我々がしなければいけませんから」

時代に合わせた変化も必要だけれど、無理して首を締めるならやらない方がいい。一念発起して大きな教室を作った際も、思いもよらない災害の渦中でも、須藤さんの決断には迷いがありません。

「あまり先のことを考えても仕方がないなと思っています。事前にレールを敷きすぎても、線路に乗っかっただけの仕事になってしまうでしょう。まだ自分たちは走って進んでいる途中ですから。後継者の問題もよく聞かれますが、正直まだどうするか考えていません」

作り手による表情や柄の違いを見るのも楽しい

コロナの影響で思いもよらぬ損害があった2020年。この状況をどうにかしようにも、未来は予測しづらい状況です。

新しい一手を打つとしても、長い目で見て無理が生じないか、場当たりの手当になっていないか、今後を見据えて慎重に考えたいところです。

 


---取材を終えて取材を終えて

コロナ渦で厳しい状況にはあるものの、会津の人々や観光客のために赤べこを作り続けることに変わりはない。実際に取材時、荒井さんも須藤さんも忙しそうであった。

また逆にいうと、コロナがなくとも、何もしなければ文化は衰退していってしまう。必要以上に慌てず抗わず、今できることをおこない、できることを考え続ける姿勢が大事なのかもしれない。

自分たちが生活していくために。また、赤べこをはじめ民芸という伝統を残していくために頑張る皆さんに、世間が落ち着いたらまた会いに行きたい。




                   

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