野草を摘み、生活に生かす 日本人の知恵をつないでいく

生まれ育った東京から就職のために移住。
地域おこし協力隊を経て、
新しい仕事を地域に生み出した。

生きていくために本当に必要な仕事を求めて山梨へ

山梨県甲州市で”野草文化”を発信している鶴岡舞子さんは、生まれも育ちも東京。
土とともにある暮らしを志したのは、15歳のときだった。
「当時、不景気のせいでまわりの大人たちは浮かない顔をしていました。銀行が倒産、統合するニュースを見て、万が一お金が紙くずになってしまっても、生きていける仕事がしたいと思いました」
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生きるために必要なものはお金ではなく食べ物だと考えた鶴岡さんは、農家になろうと東京農業大学へ進学。繊維や染料、お茶や薬など、植物を加工する「工芸作物」について学び、就職のために甲州市に移住した。
民間の宿泊施設勤務を経て、農業生産法人で果樹栽培を学ぶも、新規就農は資金面などのハードルが高いことを知り、農家の道を断念。甲州市の地域おこし協力隊になり、かねてから魅力を感じていた野草に関する活動を始めた。そして任期を終えた2014年、「つちころび」を立ち上げた。

日本人として野草の魅力やつきあい方を伝えていきたい

初夏の日差しがまばゆい日、つちころびの「摘み草実践コース中級編」が開催された。初級編の座学を終えたメンバーが受講する春夏秋冬4回のコースで、野草を摘んで料理する。集合場所は、鶴岡さんが借りている約8,000㎡の耕作放棄地「こぴっと畑」。
「さあみなさん、食べられる野草を探しましょう!」
鶴岡さんのかけ声で、和気あいあいと野草摘みがスタートした。スギナ、ツユクサ、ハルジオン、ヨモギ・・・鶴岡さんが教えてくれる野草に触れ、匂いをかぎ、口に入れてみる。甘かったり、酸っぱかったり、苦かったり・・・野性味あふれるさまざまな味に、驚きや発見がある。有毒な野草も生えている。
「野草の世界は、畑と違って人間が管理する世界ではありません。わからないものは食べないこと」と鶴岡さん。注意が必要だからこそ、まずはこうしてわかる人のもとで学び、野草に慣れていく。
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「野草は、花や芽など一部分しか食べられなかったり、下処理が大変だったりする。旬も一瞬だけです。講座を通して、食べ物を採取して食べるという行為の大変さも、実感できると思います」
野草を自分の手で摘み、料理し、食べるという、一連の行為を体験することに意味がある。
文:吉田真緒  写真:砺波周平
全文は本誌(vol.18 2016年8月号)に掲載

                   

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