四国一の大河・吉野川が町の中心を貫く高知県長岡郡大豊町。
高齢化率50%を超える人口約3,000人の中山間地域に、近年は続々と移住者が集まっている。
川を愛する人、自然を求める人、そして人々の優しさに魅了された人。
さまざまな理由で移住した3家族に大豊町で見つけた暮らしの魅力を聞いた。

吉野川沿いを走る国道32号から曲がりくねった細い道を上った先に集落は点在する。急傾斜地では、昔からお茶や蕎麦、果樹などが栽培されてきた
大豊町ってどんなところ?
激流と大自然を駆ける吉野川のラフティング
日本三大暴れ川の一つに数えられ、「四国三郎」の異名を持つ吉野川。四国山地から流れ込む豊富な水量と急峻な地形が生み出す激流は、世界有数のラフティングスポットとして知られている。激流を下るスリルに加え、雄大な山々を眺めながら川を進む爽快感も魅力。春から秋にかけて、吉野川ならではのダイナミックな水遊びを楽しめる。
大豊町の朝を包む雲海の絶景
石鎚・剣山両山系が交錯する大豊町。春先や秋から冬にかけての朝方、標高の高い場所では、気象条件がそろうと眼下を白い雲が埋め尽くす幻想的な雲海に出会える。「梶ヶ森」や「ゆとりすとパークおおとよ」などが眺望スポットとして知られ、山々に囲まれた暮らしならではの特別な朝を楽しめる。

美空ひばりも願った樹齢約3,000年「杉の大スギ」
八坂神社の境内にそびえる「杉の大スギ」は、国の特別天然記念物にも指定されている日本最大級の巨木。2本の幹が根元でつながる姿から「夫婦杉」とも呼ばれ、大豊町を代表する名所の一つ。幼き日の歌手・美空ひばり氏が「日本一の歌手に」と願いを捧げ、見事にその夢を咲かせたことから「出世の杉」として親しまれている。

山あいの斜面を彩る四季を映し出す棚田の絶景
急峻な山々に囲まれ、平地の少ない大豊町では、山の斜面を利用した棚田が各地に広がる。標高350〜450メートルに位置する棚田では、気象条件が整うと朝もやの向こうに雲海が現れ、棚田と重なり合う幻想的な風景をつくり出す。季節ごとに異なる表情を見せる棚田も、大豊町を代表する見どころの一つ。
400年の伝統を受け継ぐ、国の重要無形民俗文化財「碁石茶」
大豊町で400年以上受け継がれてきた碁石茶は、蒸した茶葉をむしろの上で1週間ほどカビ付けして発酵させ、さらに漬物と同じように漬け込んでつくる伝統的な発酵茶。天日干しにした茶葉が碁石を並べたように見えることが、名前の由来。植物性乳酸菌を豊富に含み、緑茶とは異なる爽やかな甘酸っぱさとすっきりとした味わいが特徴。

静寂に包まれた山里の古刹。日本三大薬師の一つ「豊楽寺」
開創約1,300年、神亀元年(724年)に行基が創建したと伝わる古刹。境内の薬師堂は、平安時代後期の建築様式を伝える四国最古の建造物で、高知県唯一の国宝建造物に指定されている。堂内には国指定重要文化財の薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来の坐像なども安置。冬には雪化粧したお堂が静かに佇み、厳かな風景を見せる。
大豊町で暮らす。移住者インタビュー
【Case 1】
激流に魅せられて。吉野川がつないだハッピーライフ

「ここが僕たちが慣れ親しんだホーム」。大歩危と呼ばれる激流エリアが勇介さんのお気に入り。未来さんは「毎回流れが異なり、いまだに難しいんです」
藤井勇介さん、未来さん
(プロフィール)
藤井勇介さんは、兵庫県西脇市出身。大学時代、旅行で大豊町を見つけ、吉野川に魅了されて移住。妻の未来さんは、大阪府吹田市出身。学生時代にラフティングを体験し移住を決意。吉野川が2人を結びつけたリバーカップル。
勇介さんが大阪の大学に通っていた2004年、旅の途中でふらりと大豊町へ立ち寄った。その出来事が、彼の人生を大きく変えることになる。初めて体験した激流の吉野川を下るラフティング。「川に関わりながら暮らしたい——」。そんな漠然とした思いが芽生えた。一旦大阪に戻ったものの、冬に再びこの地を訪れると、その思いは強固な決意へと変わっていた。

夏、早明浦ダムの放流が始まると、ホワイトウオーターと呼ばれる激流はさらに激しさを増す。世界中のカヤック乗りがこの激流を目指して吉野川に集まってくる
夏場はラフティング客で賑わう大豊町も、オフシーズンには人の姿が少なくなり、冬は閑散とする。「でも、誰もいない冬の大豊町が好きになったんです」。吉野川の清流と豊かな自然に魅了された勇介さんは、すぐに家を探し始めた。当時は今ほどインターネット上に空き家情報もなく、バイクでいくつもの集落を走り回り、自力で住まいを見つけ出した。お金はなく、ただ川に入るだけでは食べていけない。「それでも、ここで生きたい。なんとかしてやる」。焦りや不安を吹き飛ばすように、覚悟を固めていった。
運送業、近所の高齢者の手伝い、ゆずや生姜の収穫など、収入になるものなら何でもこなした。川の仕事だけで生計が立てられるようになったのは、移住から3年が過ぎた頃だった。2017年、勤めていたアウトドア会社を退職し、長年の目標だった起業を果たす。川のガイドを中心とした「ザ・ブルーアース」を立ち上げた。

自宅の庭に置いた風呂桶で、水風呂に入るのが夏の夕方の日課だ
起業から4年が過ぎた2021年夏、一人の女性が大豊町を訪れた。当時、大阪で介護職をしていた未来さんだ。ラフティング体験で吉野川に出会った瞬間、「ビビッときて『ガイドという道もあるのかな』と思ったんです」と振り返る。奇遇にも勇介さんと同じように、一瞬で吉野川に心を奪われた。そこからの行動は早かった。翌春には大阪の仕事を辞めて大豊町へ移住し、ラフティング会社で働き始めた。
ガイドを目指してトレーニングを重ね、いよいよ業界団体の試験を迎える。その試験官の一人が勇介さんだった。「最初は『この人が吉野川ですごい人なんだ』くらいの印象でした」と未来さんは笑う。

「ここは本当に自由なんです」と自宅の庭で微笑む
無事にガイドとしてのキャリアをスタートさせた未来さんだったが、冬になるとオフシーズンに入り収入が途絶えてしまう。そんな折、彼女の驚異的な「フィジカルの強さ」を知っていた勇介さんが「いい仕事があるよ!」とザ・ブルーアースへ勧誘した。
ザ・ブルーアースでは川のガイドと並行して「便利屋部門」にも力を注いでいる。高齢化が進む地域だけに庭の草刈り、買い物代行、模様替え、ペットの通院まで仕事内容は多岐にわたる。「便利屋と名乗っていますが、やっていることは地域貢献に近いですね」
中でも重要な柱となっているのが「特殊伐採」だ。クレーン車などが入れない場所にある高木へロープやハーネスを使って登り、枝打ちや幹の伐採を行う技術で、アーボリストとも呼ばれる。かつて大豊町では「元気な地域のおっちゃんたちが担っていたけれど、高齢化でできる人がいなくなってしまった」という。それだけに需要は高く、個人宅の庭から道路沿い、公共施設まで引っ張りだこだ。二人で作業することもあれば、大規模な現場では4〜5人のチームで臨む。
未来さんは最近、大工や屋根の板金職人のもとへ見習いとして通い始めた。「家を自分で直せるってすごいじゃないですか。困ったときに何でも対応できるようになりたくて」。今後について尋ねると、「『困ったことがあればすぐに頼れる存在』であり続けたいです」と語る。

左・大工仕事を始めた未来さん。段々と様になってきた/右・高さ20メートルの高木に登ることも。危険が常に伴うだけに安全対策には余念がない
大豊町に移住して20年が過ぎた勇介さん。これまで多種多様な仕事を経験してきたのは、都会と違って大きな会社がないからでもある。しかし一方で、高齢化が進む地域だからこそ若い世代の力は重宝される。「何でもやる覚悟さえあれば、食べることに困りはしません」。何より「地域から必要とされている」という実感が、日々の充実につながっている。
「今、幸せですか?」と尋ねると、二人は顔を見合わせ、声を揃えて答えてくれた。「はい、すごく幸せです」
【Case 2】
米国から大豊町へ。古民家を再生し、世界から旅人を迎えるまで

1日1組限定のゲストハウス「Guesthouse boro-ya」。築年数も定かでない古民家をヤンシーさんが、日本の昔ながらの農家の雰囲気を壊さないよう自ら改修した
ヤンシー・パトリックリバーさん、梓さん
(プロフィール)
ヤンシー・パトリックリバーさん、梓さん ヤンシーさんは米国ワシントン州出身。梓さんは高知市出身。2017年に大豊町で結婚し、「Guesthouse boro-ya」を経営。三人の子どもたちに恵まれ、家族仲良く大豊暮らしを満喫中。
ヤンシーさんは米国ワシントン州で生まれ、コロラド州に移り大工を生業にしていた。住んでいた場所は高級リゾート地に近く、建てる家も「まるでホテルのような家が多かった」という。そんな環境で大工をしながら、気ままな暮らしを続けていた。一方、高知市で生まれ育った梓さんは、2012年に大豊町へ移住。川のガイドをしながら、冬はインドや東南アジアなど世界中を旅する暮らしを送っていた。
2015年、気ままな暮らし方に違和感を持ち、初めての長期旅行に出たヤンシーさんと、毎冬恒例の世界旅行に出た梓さんが出会ったのは、メキシコだった。当初3ヶ月の予定だった旅は、二人で過ごすうちに6ヶ月へと延びた。やがて資金が底をつき一度は互いの国へ帰国したものの、物語はそこで終わらなかった。ヤンシーさんはコロラドへ戻ると、家を1軒建て、車を売り払って資金をつくり、来日する。梓さんと大豊町の古民家で地に足を付けて暮らすために——。2017年、二人は晴れて結婚した。

boro-yaは標高450メートルの集落に建つ。誰もいないスペースで、自然の音や風景をゆっくりと堪能できることが、宿の魅力だ
二人がまず着手したのは、古民家の大規模リノベーションだった。屋根を吹き替え、壁や天井、水回り、庭や建物周辺まで手を入れる。同時に、現金収入を得るためヤンシーさんは近所の草刈り、ペンキ塗り、左官、土木工事、大工仕事と、集落のあらゆる仕事を請け負うようになった。
本国で培った大工の技術と経験は確かだったが、来日当初は日本語も日本の建築単位も、道具の名称すら分からなかった。「日本語ゼロで来ましたから」と梓さんは振り返る。それでも大豊町の大工や建設業者は、ヤンシーさんを根気強く現場に迎え続けた。「大豊町の人たちがよく付き合ってくれた」とヤンシーさん。当初は少なかった仕事も、今では山のように舞い込む。

【Case 3】で紹介する小林夫妻の自宅の改築もヤンシーさんが手がけた。夫妻の要望に沿って、現代の暮らしに合った機能的な住まいへと生まれ変わらせた
そうして改築を終えた古民家は、「Guesthouse boro-ya」へと生まれ変わった。吉野川沿いの国道から「来る道自体がアドベンチャー」と呼ばれる細く曲がりくねった山道を車で約10分。標高450メートルの集落の最上部に、その宿はある。自然石の石段、手入れの行き届いた庭、年季の入った板の間、囲炉裏の煤で黒ずんだ太い梁。ここには、日本の原風景とも言える古き良き農家の暮らしが残っている。
集落にはコンビニもスーパーもカフェもない。それでも宿泊客の9割は外国からやってくる。フランス、オランダ、ドイツなどヨーロッパを中心に、多くのゲストが数日間滞在していく。 「縁側で読書をする人、スケッチブックに絵を描く人、レンタサイクルで山を走る人、隣の祖谷まで足を伸ばす人……楽しみ方はさまざまです」とヤンシーさん。谷を抜ける風の音、遠くで響く鹿の鳴き声、鳥のさえずりや虫の羽音。「都会では聞こえない、田舎ならではの音が流れています」

裏庭には手作りのブランコ
リバー家には、小学生二人と幼児一人の三人の子どもがいる。スクールバスが上ってこないことなどを理由に現在は麓の集落に住んでいるが、麓の地域でも子どもはリバー家だけだ。夕方になると、近所のお年寄りたちが家の前に集まり、畑や天気の話題でおしゃべりが始まる。仕事などで夫婦の帰宅が遅くなるときは、近所の人がお菓子を用意して子どもたちの面倒を見てくれるという。「みんな孫のように可愛がってくれます。都会では考えられない温かさです」と梓さん。ヤンシーさんも「みんな面白くて良い人ばかり。都会には絶対住みたくないですね」と目を細める。

左・三人の子どもたちにとって、大豊町の自然そのものが一番の遊び場/右・放し飼いの鶏は貴重な卵を産んでくれる
インタビュー中、ヤンシーさんは終始なめらかな日本語で応じてくれた。来日時はまったく喋れなかった日本語も、約10年で日常会話から職人言葉まで不自由なくこなせるようになった。上達の理由を梓さんは、「日本で大工として生きていくために、覚えるしかなかったからでは」と分析する。ヤンシーさん自身も「大豊町の大工さんたちのおかげ。いろいろと教えてもらい、本当にありがたい」と感謝を惜しまない。ただし、土佐弁で日本語を学んだため「標準語や関西弁のほうが難しい」と笑った。

「Yancha」の名前で自家栽培したお茶の販売も手がける
【Case 3】
人に惹かれ、町に根を下ろす。草刈りが結ぶ地域の縁

草刈機の手入れ、鋲がついたブーツ、厚手の手袋、ゴーグル、長袖など、草刈りに大切なのは安全対策。夏場は早朝と夕方に仕事をこなす
小林信之さん、英美さん
(プロフィール)
大阪市出身。自動車部品メーカー、溶接業、運送業など、さまざまな業種を経験し、旅行で立ち寄った大豊町の人々の温かさに惚れ込み、2025年に移住。草刈りの仕事を夫婦で取り組む。
小林信之さん、英美さん夫妻が暮らすのは、すれ違いすら困難な国道沿いの細い山道を上っていった先の集落にある。だんだんと道が狭くなり、不安になりかけたころ、畑の上の方から「こっちこっち!」と声をかけてくれる男性の姿があった。ニコニコと朗らかに手を振るその人こそが、信之さんだった。
生まれも育ちも大阪市平野区の信之さん。2018年、会社を退職したタイミングで英美さんと九州の旅へ向かった。旅も終わりに近づいたころ、このまま帰るのはもったいないと思い立ち、高知県大豊町のお隣、徳島県祖谷地方の民宿に宿泊する。急峻な斜面に集落が点在する情景は、どこか大豊町の風景とも通じるものがあった。「こんなところに住むのもいいかもなあ」。当時は真剣に考えたわけではなかったが、頭の片隅に「移住」の二文字がうっすらと刻まれることとなった。

自宅が建つのは標高約280メートル。庭から見下ろす風景が好きだ
旅が終わり、再び大阪での慌ただしい日常が始まる。そんなある日、何気なくテレビを観ていると、大豊町の民宿「風とあそぶ宿 やんちゃ」が取り上げられていた。風光明媚な山の斜面に建つ古民家、そして温かみあふれる宿の女将。「これや! とピンときて、すぐ電話して『明日お昼食べに行ってもいいですか?』って(笑)」
そこから、大阪と大豊町を行き来する日々が始まる。休みの度に足繁く通い、「Guesthouse boro-ya」をはじめとする町内のさまざまな民宿に滞在した。何度も通ううちに宿の人々とLINEで日常のやりとりをするようになり、正月には大豊町の名産品が送られてくるまでになった。「大阪にいながら大豊町民みたいなもんですわ」。

「風とあそぶ宿 やんちゃ」のご主人と、小林さんのお気に入りの風景を背景に記念撮影
勤めていた溶接会社で汗を流す日々の中、ふと大阪での暮らしに疑問が湧く。「大阪はごちゃごちゃしているし、人も多いし、なんで僕ら大阪にいてるんやろって」。対比として頭に浮かぶのは、週末ごとに通う大豊町の風景だった。人の少なさ、静けさ、清流のせせらぎ、豊かな大自然——。頭の片隅にうっすらとあった「移住」という言葉が、現実的な選択肢として鮮明に浮かび上がった。
その後、移住支援などに取り組む「NPO法人元気おおとよ」の空き家マッチングツアーに参加。トントン拍子に理想の空き家が見つかり、2025年1月、大阪の仕事を辞めて夫婦で大豊町へ移り住んだ。
移住するまで、二人はずっと会社勤めだった。決して仕事が多いとは言えない山あいの町での再出発に、不安はなかったのだろうか。「ゼロではなかったけれど、『草刈りや農作業の手伝いをしていれば一定の収入になる』と教えてもらっていたので」。まずは〝草刈りの達人ヤンシーさん〟に弟子入りした。夫婦でヤンシーさんの後ろをついて回り、草刈りのノウハウを学ぶうちに、集落の人々から少しずつ声がかかるようになった。

愛用の軽トラに「OHTOYO BASE」のステッカーを貼ると、いろいろな方から声をかけてもらえるようになった
当初は草刈りをしながら別の仕事も探す予定だったが、今では雨の日と日曜日以外、ずっと草刈りだ。高齢化が進む大豊町では草刈りが困難になり、家や畑の雑草が伸び放題になっている土地も少なくない。「いま1日6時間草刈りをしているんですけど、もう全然終わらない」。現在も何件もの依頼を待ってもらっている状態だという。
移住の決め手について尋ねると、「人のつながりです」と信之さんは即答。「都会では隣の人の顔さえ分からんし、だいたい他人は他人。でも、なんやよう分からん僕らの話を大豊町の人たちは真剣に聞いてくれたんです」。
ここまでのインタビュー中、笑顔を絶やさず語ってくれた信之さん。「大豊町の方々が優しかったのは、信之さんのお人柄があったからでは?」と向けると、隣にいた英美さんが微笑んだ。「この人がこんなに喋る人やなんて、大豊町に来るまで知らんかったんです」。大阪にいた頃の信之さんは、仕事関係以外で会話をすることは滅多になく、人付き合いも少ない「一匹狼」のようなタイプだったという。大豊町に通ううち、集落の人々が、宿の人々が、凍りついていた信之さんの心をゆっくりと優しく温めてくれたのかもしれない。ヤンシーさんが改築したキッチンで、穏やかに笑う夫妻の姿が印象的だった。

ヤンシーさんが改修したキッチンはモダンなデザインで丁寧に施工されている
文・写真 高橋正徳
大豊町を知るなら「WOW! OTOYO」
(一財)大豊町観光開発協会のインスタグラムでは、町内の絶景スポットやアクティビティ、地元グルメ、イベント情報まで幅広い大豊町の魅力を発信。豊かな自然に恵まれた暮らしをイメージできます。
▶︎公式サイト https://otoyo-kankou.com/
▶︎公式Instagram https://www.instagram.com/wowotoyo/
【移住に関する相談窓口】
大豊町企画創造課まちづくり班
高知県長岡郡大豊町津家1626番地
TEL:0887-72-0453
E-mail:machi@town.otoyo.lg.jp