自然に従い、 キャンプ場から 新産業を生む

群馬県北軽井沢 きたもっく

群馬県・北軽井沢で、地域資源を活用した事業づくりを行う有限会社きたもっく。
年間十万人のキャンプ場に、流通日本一を狙う薪製造所。
中山間地域から次々と事業を展開した背景には浅間山の麓で、自然を享受し厳しさも知る「ルオム」の精神があった。

浅間の麓の荒れた土地
すべてはキャンプ場からはじまった

「おそらくあと三年ほどで、私たちは日本一の流通量を誇る薪製造業者になるでしょう」。そう語るのは、約三十年前に北軽井沢の土地にキャンプ場を開いた、有限会社きたもっく(以下、きたもっく)の代表・福嶋誠さん。

きたもっくが拠点を持つのは、群馬県長野原町の南西部に位置する北軽井沢。町の面積の約七十一%を、広葉樹の天然林とカラマツの人工林が占める中山間地域だ。そこでの取り組みは、人と人が交流する場づくりの「フィールド事業」と、土地にあるものを活かす「地域資源活用事業」の二つの軸で展開。年間十万人が訪れるキャンプ場「スウィートグラス」の運営をはじめ、薪の製造販売、養蜂業など、多岐に渡る事業が互いに関わりあって成り立っている。循環する地域経済は県内外からも人を集め、季節によっては約百五十名もの雇用を生み出すという。きたもっくは北軽井沢の地でどのように事業展開をして、なぜ、事業を循環させることができたのか? そこには、土地と向き合い続け、産業を生み出そうとする人々の情熱があった。

「北軽井沢で生まれたんですが、やっぱり冬にマイナス二十度にもなる自然のなかでの暮らしは過酷なんですよ。それに、小さい集落の閉塞感も、若かった自分には窮屈に感じられてね。上京を決意しました」。都内での起業を経て、家族とともに長野原町に戻ってきたのが三十年前のことだった。「そんなにドラマチックな話でもないですが、東京が嫌になって帰ってきたら、地域の素材の豊かさに改めてびっくりさせられたんです。それに、目の前にある浅間山がきれいで」。ここで生計を立てていくと決めた福嶋さん。父が所有していた土地を受け継ぐことが決まると、この景色を多くの人と分かち合いたいという思いから、キャンプ場を開いた。これが、きたもっくのはじまりだった。

福嶋さんがキャンプ場をつくりはじめた九十年代初頭、キャンプはハードルの高い趣味として認識されていた。その頃、アウトドア大国のアメリカに行く機会を得た福嶋さんは、現地で見た〝土地の自然を活かしたキャンプ場〟の運営を目の前にして、カルチャーショックを覚えた。「とにかくスケールが大きかった。アメリカにおいてアウトドア産業は、ホテル産業に次ぐ規模の産業として確立していたんです。アウトドアが大きな産業として成り立つと思っていなかったので、驚きましたね」

このアメリカ視察を経て、キャンプ場のあり方を考えるようになった福嶋さん。「キャンプ場は観光地と違って、一日や二日滞在する場所であり、ビジュアルだけ眺めて写真をパッと撮って帰るものではないんですよね。だから人をその場所にとどめる必要があるんです」

一般的にキャンプ場は森を切り拓き、フィールドをつくっていく。しかし、福嶋さんが継いだ土地は木が一本も生えていない荒野そのものだったという。ここは浅間山の迫力を直に感じられるエネルギッシュな土地だけれど、潤いが足りない。人が滞在したくなる場をつくるには木のもたらす潤いが必要だと考え、福嶋さんは荒れ地に木を植えはじめた。

「この辺りは『おしぎっぱ(押際端)』と呼ばれ、噴火によって集積した土砂や火山灰が堆積する土地だと言われています。だからキャンプ場に適した水はけの良さはあるものの、草木が育ちにくい土地なんです」植木屋の知恵を借りてフィールドに数百本単位の植樹を行うも、植えるたびに枯れてしまう。試行錯誤の末、数種類の樹木を混ぜて植えることで、ようやく植え付けに成功した。こうして、「スウィートグラス」に少しずつ緑が茂っていった。

「それ以来、土地を理解しないと、何もできないと思うようになりました。キャンプ場が軌道に乗りはじめてから十年くらいは、どこに行くにも地質図を持っていましたね」。地質図と現地の様子を照らし合わせることで、その大地の特徴や、どんな産業に適しているのかがわかる。「この辺り一帯で自然の支配権をもつのは浅間山なんです」と福嶋さん。長野原町と長野県軽井沢町にまたがってそびえる標高二五六八メートルの活火山・浅間山は、これまで七百年から八百年に一度、大噴火をしてきた。今も脈々と火山活動を続ける活火山は自然の恵みをもたらす存在でもあり、脅威でもある。

「僕はいつも、逃げ道ばかり考えていました。それは事業の逃げ道ではなく、有事の際にお客さんがどう避難するか」。アウトドア産業に取り組むものとして、治山治水を考える義務があると語る福嶋さんだが、決して自然に抗おうとはしない。「いくら木を植え、事業をしても、火山によってすべてがゼロになります。怖いとか怖くないとか、いいとか悪いとかでなく、自分たちが立っている大地の成り立ちをよく理解しないと、何にも対応できないんです」。

今の暮らしや事業が、いつなくなるかわからない以上、ここでは「自然と共に生きる」などという言葉は通用しない。だからこそ、きたもっくは「自然に従う生き方」を根幹に置いた。「多くの中山間地域は優雅なことをやれるわけじゃないと思うんですよね。生きるか死ぬかの過酷な土地でどうやったら事業を組み立てて、持続的で、多くの人が参画できる場がつくれるのかを考え続けるしかない」。フィンランド語で「ルオム」と呼ばれる「自然に従う」考え方は、きたもっくのすべての活動における行動指針になっている。

持続可能な産業の形

キャンプ場からスタートしたきたもっくが、事業の軸足を増やすきっかけとなったのは、既存のビジネスモデルに対して限界を感じたことだった。「事業を拡大させていくには、人材の育成が必要不可欠です。しかし、ピーク時にアルバイトを集めて一年分の売り上げをつくるような、キャンプ場の従来の〝季節雇用〟では、スタッフとの関係性を築くことも難しいですよね。これではなかなか人も育ちません。どこかで、この流れを断ち切らなければいけないと感じていたんです。ずっとこのままのやり方で続けていたら、状況は変わらないんだと」。

そこで、夏のレジャーが一般的であるキャンプ場の通年営業について、社内で何度も議論が交わされた。「冬に開けても人が来ないし、その稼ぎは電気代にもならない」、そんな結論になるのも無理はない。冬の北軽井沢は雪の量こそ少ないが、最低気温はマイナス二〇度にもなる寒さの厳しい土地だ。

どうすれば冬のキャンプ需要を見込めるのか。考えた末に出た策は「生火を燃やす楽しさを定着させよう」という方向転換だった。「ちょっと冒険でしたけど、二〇一二年にはすべての施設に高スペックな薪ストーブを導入しました」。いざ通年営業に乗り出してみると、閑散期だった冬の来場者が増加。暖を取るためにストーブを導入することは他のキャンプ場でも試みられていたが、生火を建物に持ち込むことは危険を伴うため叶わなかったのだ。「昔の家の土間から着想を得た、気密性の低い『スウィートグラス』の建物だからこそ実現しました」と福嶋さんは振り返る。

「薪ストーブの稼働が増えると、その燃料として薪が大量に必要になるでしょう。これまでの薪屋さんだけでは対応しきれなくなったので、地域の山主から地産材を買い取り、自分たちで加工してまかなうようになりました。このあたりは古くから首都圏への薪炭の供給基地だったから、火の保ちがよく、薪に適した広葉樹が多く育つんです」。冬のキャンプ場運営が、新しい事業につながっていく。

「薪をつくるには、木に含まれた水分を乾燥させるために最低でも2年はかかる。その効率の悪さでは、エネルギーとして採算が合わない。その工程を短くできないかと、薪を乾燥させる施設と工場を構えました」

こうして薪を自分たちでまかなうようになり、二〇一五年には「あさまの薪」として事業をスタート。高品質な薪の製造、販売を開始した。また、二〇一九年には北軽井沢の・・にまたがるエリア「二度上山(にどあげやま)」を取得し、自伐型林業にも着手。切り出した木の製材加工まで自分たちで行なうようになった。さらに今年の夏には、より多くの薪を乾燥・保管でき、木材の加工をできる新たな製材所も完成予定なのだという。「冬に人が来ないなら、火を燃やして温まる楽しさを伝えよう」、そんなシンプルな考えが功を奏し、新しい地域の産業の芽が生まれていった。

また、二度上山では二循環型空間農業でもある養蜂事業にも着手。養蜂事業は地域の遊休地や耕作放棄地の活用にも寄与し、地域全体をつなぐ役割も果たしている。「きたもっくが多くの事業に取り組むのは、持続可能な新しい産業の形をつくるためなんです」と福嶋さん。一般的に林業は、木を植えてから伐採まで五十〜六十年かかるといわれ、長期スパンで事業計画を立てる。一本の木が柱や板の材料にできる太さまで成長するのに、それだけ長い年月がかかるのだ。一方で、自然をうまく活用すればより短いサイクルの事業を作ることもできる。「うちの山に行くとわかるけれど、山の中に蜂の圃場があるんです。蜂は一年のサイクルで動いてくれる」。山で獲れた蜂蜜は、地域ブランド『』として加工・販売が行われている。「林業に小さな産業を組み合わせると、自然のサイクルと人間の事業のサイクルが連動してくるんです。そういう組み合わせを、どう古い産業に入れていくか。その仕組みを徹底して追及することが、新産業を生み出す大きな視点になるはず」

きたもっくは事業を進める上で、地域内で生産から消費までを一貫して行う自給経済圏を「約三十五キロメートル圏内」に設定している。その理由は、流通コストへの憂慮ではない。「全国、全世界とマーケットをどんどん広げていくやり方ではなくて、ある程度の区切りをつけた地域の中で、いかに経済を循環させるかを考えています」

ときには、近しい志を持った企業や団体とコラボレーションも行う。例えば、二〇二〇年十二月には岐阜県飛騨市「飛騨産業」と業務提携を結び、オーダーメイド家具のプロジェクトを始動した。まっすぐに伸びる針葉樹と比べて扱いが難しい、北軽井沢の広葉樹の木材としての価値を高めていく狙いがある。また、養蜂で採取された生はちみつ「百蜜」も、地域の企業と連携して調味料やビール、蜜蝋ラップの製造・販売に結びついた。まさに、地域の資源に新しい視点を加えることで、新たな産業を生み出している。

〝家族が再生する場〟
としてのキャンプ場

これまで幾度となく、アウトドア総合情報誌の読者アンケートで日本一のキャンプ場にも選ばれた「スウィートグラス」。着実に売上を伸ばしていくなかで、「スウィートグラスらしさ」を改めて考えることに。「産業とは何かを考えたとき、例えば地域にあるものを見つけて活用することも、産業をつくること。ただ、産業ってやっぱり人を豊かにして、人と人を結びつけることも大きな役割だと思うんです」。これまでフィールドで繰り広げられてきたシーンを振り返ってみると、この場所の社会的役割は〝家族が再生する場〟だと定義できた。「社会の最小単位である家族は、核家族化が進み、共働きが当たり前になるなど、さまざまな場面で、関係性が崩れることもあります。日常生活で関係性の修復をするのはなかなかむずかしい。だけど、自然のフィールドをハブにすることで、関係性の修復が実現できているんじゃないかと思ったんです」。キャンプ場での生活は、ご飯をつくったり寝る場所を確保したりとせわしない。家族一人ひとりが役割を持たないと、ここでの生活が成り立たないのだ。「キャンプ場に来たときに自然を前に戸惑っていた家族も、帰るときには笑顔になっているんです」と福嶋さんはほほえむ。

キャンプ場から歩みをはじめ四半世紀が経ち、二〇二〇年十月には新たなフィールド事業の展開をスタート。キャンプ場「スウィートグラス」の運営を通して実感していた「焚き火のもたらす効能」を活かし、法人・組織向けの宿泊型ミーティング施設「TAKIVIVA(タキビバ)」を開設した。「焚き火を囲むと、対面ともまた違うフラットな関係性になるんです。そうやって本音で語る場をつくり、チームの関係構築を狙います」。食事づくりや焚き火はチームで行い、キャビン型の一人用ブースで宿泊。仲間と語り相互理解を深め、内省するまでをひとつの流れとして設計されている。「我々は個で生きながらもチームを組むじゃないですか。その力を信じて事業をやったり活動をしたりする。キャンプ場が家族をテーマにしているのならば、企業をはじめとする、〝目的をもった集団〟をテーマにした事業がもうひとつあってもいいんじゃないかと思いました」。こうして、居場所としてのキャンプ場にも新しい意味をつくっている。

「きたもっく」という企業の魅力は事業だけでなく、そこに働く人にもある。例えば、「スウィートグラス」の来場者を対象にしたアンケートには、接客のよさを挙げるユーザーも多いという。スタッフはそれぞれのスキルをフィールドづくりに活かしてくれる。四十種を超えるコテージやテントサイト、遊具などそのほとんどがスタッフの創意工夫により自前でつくられたものだ。

「『ルオム』の考え方を事業体の旗として掲げたことで、多くの人がうちに参画してくれました。『きたもっくはちいさな会社だけど、そこに参画する人の生き方を問う会社なんだ』という思いを込めたら、全国からその考えに共感する人が集まってきてくれたんです」。きたもっくの理念に惹かれ、働きたいと思った多くの人たちが、この土地での暮らしを選んだ。

地域に根付き、貢献する

さらに、これからは限界集落の再生事業にも着手するという。「地域内の『狩宿(かりやど)集落』で新たな産業を興していきたいです。五年かかるか十年かかるかわかりませんが、まずは、先発隊としてスタッフひとりが家を建てて住み着くところから」。福嶋さんの思考は、他の土地にも派生する。「全国には、豊かな資源を活かしきれていない限界集落がいっぱいあります。私達が再開発事業に取り組んで成功すれば、じゃあうちもやってみようかって事業体がでてくるんじゃないかな」。重要なのは、土地にあった産業のスタイルを見つけること。しかし、先駆けとして他の地域に背中を見せることはできる。

きたもっくは「The Future is in nature.(未来は自然の中にある)」を合言葉に、これからも地域未来創造企業として北軽井沢に根を張り、枝葉を伸ばし成長していくだろう。そこには、自然への畏敬の念がある。「『ルオム』の考え方と向き合っていると、だんだん自分が生かされている感覚になるんです。雨に濡れる新緑を美しく感じたり、満天の星を眺めて自分の小ささに気づかされたり。生きていると嫌なこともあるけど、自分が生かされてる感覚にたどりつくと、やがて土地に根付こうと思うようになります。そうすると地域にどう貢献するかを考えるようになる。それが事業の力になるんです」。自然を均一的に利用するだけではなく、その土地の個性を「知ろうとする」姿勢があるからこそ、既存の産業と組み合わさる小さな事業の可能性を見出し、新しい産業を生み出せる。

浅間山の麓、北軽井沢の大地の特徴を捉え、フィールド事業と地域資源活用事業を展開しているきたもっく。「二つの軸を持って、循環する事業をつくるスタイルは、他の地域にも展開できる」と福嶋さんは考える。大切なのはその土地にあった事業を考え、育てていくこと。そのためには、まずは地質図を携え、その土地を知ることからはじめてみるのがよさそうだ。

 

取材…徳谷柿次郎 文…ナカノヒトミ 写真…小林直博

                   

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