地元企業たちの集合知

香川県三豊市 [瀬戸内ビレッジ]

香川県三豊市は人口六万人ほどの静かな町だったが、約五年前に「日本のウユニ湖」として父母ヶ浜が有名となり、世界中から年間五十万人が訪れる人気観光地となった。そんなエリアに二〇二一年、一棟貸しの宿URASHIMA VILLAGEがオープン。
開業したのは、地元企業を中心に十一社が出資した瀬戸内ビレッジ株式会社。
複数の事業者が地域の経済発展を自ら生み出し、循環していく試みが始まった。

始まりは、地元のプレーヤーが
対話する飲みの場

小さな町に突如多くの観光客が訪れるようになったものの、三豊では宿泊事業が不足しており、せっかく訪れた観光客も近隣の琴平や高松へ流れてしまっていた。滞在時間と消費金額が小さく、客足を地域の経済発展に活かしきれていないのは大きな課題だった。

「かといって、外からやって来た事業者が観光地として整えていったら、どこにでもあるような景色になってしまう。例えば、大手のコーヒーチェーン店があったら便利だけど、この土地ならではの珈琲店があったら、外から訪れた人はうれしいですよね。できるだけ地場の人たちと、この土地らしいものを作っていきたいと思っていました」

三豊市は、もともとは七つの町だった。観光客が増え、関係人口が増え、移住者が増え……と地域が少しずつ盛り上がっていく一方、同じ町内ではなかった地元のプレーヤー達は、お互い顔見知りではあるものの、なかなか深く会話をしたことがなかったという。そんな中、原田さんが立ち上げた三豊の体験型宿泊施設UDON HOUSEでは、夜な夜な地域の事業者たちが集まって飲み会が開催されるようになっていった。

「夜遅くなっても、みなさんなかなか帰らないんですよね(苦笑)。その姿を見て、『そうか、三豊にはみんなが集まって語らう場が足りなかったんだ』と気が付きました。飲みの席では、誰もが『あんなことやろうや』『こんな町にしようや』と三豊の未来を語っていました。『昔はこうだった』なんて過去の話をする人はいなかったんです。私のような移住者がいる中で、共通の話題が未来のことだったのかもしれません」

そんな地域の「あったらいいな」を聞き逃さずに形づくっていったのは、原田さんと同じ会社のメンバー、古田秘馬さんだった。古田さんが飲みの席で「それならこんなことをやろうよ」と返せば、地元の人たちは「それいいね」「やろうやろう」と盛り上がる。飲みの席ではよくある風景で、一般的には多くの話がそこで終わる。だが、古田さんはそれをきっちりプレゼン資料に落とし込み、「先日話していた件、こんな風にやりましょう」と合意形成を進めていった。この町の未来を語る人が横で繋がり、対話できる場所があり、それを形にする人が揃っていたのだ。

本当はもっと特別なエピソードが隠れているんじゃないか、そう思って他の株主たちにも話を聞いてみたが、「URASHIMA VILLAGEは、飲みの席で盛り上がった話が形になった」と誰もが口を揃える。

「古田さんのプレゼンには明確なビジョンがあって、誰が何の役割をするのかまで具体的に整理されていました。一人ひとりがいつかやりたいと思っていたことや、自社の課題解決が具現化されていたんだと思います」

例えば、三豊でサービスを展開するも、近隣の別エリアに拠点を持つ株主は、三豊でゼロから事業を作るハードルの高さを感じていた。また、交通インフラを担う「琴平バス」や「平成レンタカー」は、需要拡大のために三豊の新たな目的地を必要としていた。宿をやることで、自分たちで目的地を持つ強みができ、宿と連携したサービスを展開できるようなる。こんな風に、「あったらいいな」が動き出した。

 

十一社の特色を活かし合い、
地域の経済を動かす

URASHIMA VILLAGEは集まった十一社の出資によりプロジェクトがスタートし、土地探し、設計、建築、内装、オペレーションと必要な仕事は株主の各会社に業務委託しながら進んできた。

「この町の未来をつくるのは自分たち。ないものを嘆くくらいなら、作っていこうというのが株主全員に共通している思いです。可能な限りこの町の力で作ろうと、心強いメンバーが集まりました」

ここにはなにもないからと、田舎を飛び出す若者は多い。株主の中には、かつてはそんな風に一度町を出た人もいる。でも、なにもないからこそ作る喜び、楽しさがある。三豊は、それを一緒にできる人達に出会える町なのだ。新たな取り組みに挑戦することは、成功が全てではない。打てるかどうかわからなくても、まずは打席に立ってみる。それを見て、「自分にもできるんじゃないか」と挑戦していく大人が増える様子を、次の世代が見つめている。そんなゆるやかな循環も生まれている。

「自分になにができるのか、今考えている挑戦がベストなのかとあれこれ考えて足踏みするよりも、まずはやってみることが近道になることもあります。失敗することでやるべきことが見えてきたら、次のアクションも決まってくる。三豊には、そうやってトライアンドエラーを温かく見守る空気感があると思います」

観光地として加速してきたタイミングでコロナ禍を迎えた三豊では、この一年、毎月のようにクラウドファンディングが立ち上がっていた。成功事例が多い町よりも、挑戦事例が多い町の方が強くなる。地域外の人や大きな資本に頼らずとも、作りたいものは地域の中で作ってみよう、そんな文化が醸成していく三豊では、新しいプロジェクトの誕生が加速している。

URASHIMA VILLAGEオープン後の新型コロナの情勢は芳しくないが、宿の運営は順調で、五月のうちから夏の予約が入り始めている。中四国エリアからアクセスが良いこともあって近隣圏の利用が多く、既に毎月のように訪れる人も。人数が多くても同じ空間で過ごせる一棟貸しは、家族連れに人気だ。また、高まるワーケーション需要を見込み、平日四泊五日のワーケーショントライアルの販売が始まっている。

生まれたのは宿ではなく、
町全体で観光客を受け入れる流れ

一社ではどうしても事業領域やノウハウに限界があるが、工務店、建材屋、地元のスーパー、インフラとそれぞれの得意分野を活かして力を合わせ、URASHIMA VILLAGEを通じ自ら仕事を創出していくことが、このプロジェクトの要。

例えばURASHIMA VILLAGEで提供する食のサービスは、地元でスーパーを経営するイマガワがサービス開発を担当。近隣の仁尾漁港で水揚げされる新鮮な海鮮を詰め込んだ「玉手箱」は他の宿でも提供可能となっている。イマガワにとっては事業が広がり、長く勤めてくれている惣菜担当者に新たな経験を提供できる機会にもなった。株主たちは個別で宿を運営しているが、食のサービスを共有したり、オペレーションについて教え合ったりと、その関係はライバルではなく、ネットワークになりつつある。

株主の多くは既に本業以外の新規事業に挑戦していて、誰もがチャレンジを楽しむ気質を持っている。株主たちの事業には、住民と観光客のコミュニケーションが交わる「宗一郎豆腐」、豊かな地域の暮らしを体感できる「暮らしの森」、商品や取り組みの物語を届ける「百歳書店」など、多彩だ。今後はそういった個別の取り組みとURASHIMA VILLAGEとの連携が期待できる。地域にスモールビジネスが集まり、町全体で観光客を受け入れることで、地域の経済が循環していく。URASHIMA VILLAGEを通して株主たち十一社が目指しているのは、三豊のそんな姿だ。

 

取材・文…小林繭子(瀬戸内通信社) 写真…ミネシンゴ

                   

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