人口約6000人という田舎町でありながら、東京のIT企業など10社を超える企業がサテライトオフィスをオープンさせ、全国から注目される神山町。
そんな町の中心部、寄井地区に『株式会社えんがわ』の古民家オフィスはあります。おもな仕事は、放送局から預かったテープや、町に暮らす方々から集められた昔の映像や写真などをデジタルデータ化し、アーカイブしたファイルをWEBサイトで公開していくこと。映像に関する独自システム開発も行っている会社です。
今回は、えんがわオフィスで働く“映像・WEBエンジニア”と“システムエンジニア”を募集します。
求めているのは、「神山を楽しみながら、自分で考えて動いてくれる人」。
気になる会社のセンパイにご登場いただき、仕事内容や暮らしぶりなどについて、お伺いしました。
映像業界を裏で支える、縁の下の力持ち
“株式会社えんがわ”は、東京の恵比寿に本社を置く、映像関係のベンチャー企業『株式会社プラットイーズ』のサテライトオフィスとして、2013年に神山で誕生しました。
“オープン&シームレス(境界線のない)”を会社のモットーに、仕事と暮らしに線を引かない新しい働き方を提案しながら育ってきました。現在、徳島県出身者16名、県外から6名と、地元の方を中心に多くのメンバーが活躍しています。
まずは、立ち上げ当初から携わっている、統括マネージャーの割石芳司さんに、会社や事業について伺ってみました。
統括マネージャー割石芳司さんは生粋の東京っ子。東京本社で働いた後、2015年に神山へ。神山に来て、約30年ぶりに川で泳いで遊んだそう。
「おもな業務は、映像のアーカイブとWEBサイトの構築です。昔撮ったビデオテープはあるけど、デッキを捨ててしまい見る事が出来ないことがありますよね。それは放送局さんも同じで、テレビ放送が始まってからの70年近くものテープが、このままではゴミになってしまいます。そんな状況を救い出すべく、映像をデータ化し、“メタデータ”を付けて保管しています。“メタデータ”とは、コンテンツに関わる文字情報のことで、出演者・番組内容・監督などを指します。
そうすることで、最近利用者が増加している『Hulu』や『Netflix』といった、話題の“OTT(*)”と呼ばれるインターネット配信業者へコンテンツとして渡すことができるんです。また、自社で配信サービスを構築することが増えてきたりと、近年需要が高まっている分野でもありますね」
(※”OTT”とは、IT用語の一つで「Over The Top」の略称。 インターネット回線を通じて、メッセージや音声・動画コンテンツなどを提供する通信事業者以外の企業のこと。)
それに付随して、配信するために必要なWEBサイトを構築する仕事も増えているそう。
外観とは一変して、オフィスの中にはテレビモニターや機材がずらりと並ぶ。
もうひとつの大きな業務が、独自の営放システム『線引屋』の開発とそのシステムの運用です。
「営放システムは聞き慣れない言葉だと思いますが、昔であれば、放送の順番ごとに、このテープを流したら次はこれ、次はこれ、と物理的に流していくイメージでした。だけど今は、テープで納めてもらっても最終的にデータ化し、それを本編→CM→本編などスケジュール通りに流すためのシステムが“線引屋”になります」
いわゆるテレビの制作ではなく、テレビ番組を滞りなく流れるように手助けをする。そのシステムを開発し、運用を放送局内ではなく放送局外で行なっているという、業界でも非常に珍しい会社です。
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また、ちょっと変わった取り組みとして、会社で田んぼを借り、“えんがわ米”を育てています。
「なぜ米作りをしているかと言うと、1人では何も出来ない事を知ってほしいんですよね。急に『お米を作ってほしい』と言われても出来ないですよね?
まずは田んぼを調達しないといけないし、水はどこからどうやって引いてくるのかなど、全くわからないところからスタートしていく。それは、このオフィスが立ち上がった頃と同じなんですよ」
田んぼ担当者が音頭をとって、就業前などに田植えや草刈りをする。耕作放棄地だった土地を借り、できる限り無農薬で育てている。(写真提供:えんがわオフィス)
田んぼの管理は、基本的にその年ごとに1人が任命されています。けれど、もちろん1人だけでは管理しきれない。すると、自然と周りに助けを求めるようになる。それは仕事にもつながっていて、普段の業務が回らなければ人に頼むことが自然になる、という考えも込められています。
育てたお米は、週に1度のまかないデーの時に、社員みんなで食べるそう。
「お米の作り方さえわかっていれば、会社に何かあった場合でも、生き抜けるかもしれない。我々は、これを緊急事態に備えた“究極のBCP対策”と呼んでいます(笑)」(割石さん)
東京とも地域とも関わっていく、エンジニアの仕事
もし入社したら、具体的にどんな仕事をするのでしょう。
実際の先輩になる、映像・WEBエンジニアの樫本郁実さんに仕事内容を教えていただきました。
入社5年目、素材チーム。神山町出身の樫本郁実さん(26歳)。
「素材チームでは、放送局からお預かりしたビデオテープのアーカイブを行なっています。ビデオテープをデータ化し、ハードディスクや光ディスクなどの新しいメディアに保存することで、データの長期保守や、新しいサービスへの番組の再利用が可能となります。
また、出演者や訪れた場所などを記録して、インターネット上で検索しやすいように付加価値をつける“メタデータ”をつけていく作業と、そのデータ化したファイルとメタデータを配信するWEBサイトを構築することも仕事のひとつです」(樫本さん)
サテライトオフィスと言うと、なんとなく“田舎でのんびりとした”イメージがあるかもしれませんが、東京本社と同じ環境設備で、同じように仕事を行なっていきます。なので、職場は神山町だけど本社での研修も受けられ、スキルもしっかり身につけられる点は、ここの魅力かもしれません。
入社4年目の小松崎 剛さん(36歳)。東京の映像関係の仕事を辞めて、神山へ。
もう一人、同じく映像・WEBエンジニアの小松崎剛さん。古民家オフィスの向かいにある蔵を改装したオフィスで、地域に密着した地域映像のアーカイブ作成を担当しています。
「徳島県の各所で暮らす方々からお預かりした、貴重な8ミリのフィルムや古写真などをデジタル化して、地域の文化を記録しています。月に1度、“神山アーカイブキャラバン”というイベントを開き、住民のみなさんに集まってもらい映像や写真を見ながら、『この場所は昭和初期は大衆劇場で映画や素人芝で、溢れんばかりの大勢の人で溢れていたなあ』など、写真一枚一枚に、それぞれの思い出を話していただき、それを町の記録として残しています」(小松崎さん)
昭和20年代の阿波踊り from えんがわオフィス on Vimeo.
地域映像のアーカイブでは、一軒ずつ個人宅を回り、8mmフィルムや古写真を預けてもらうことで地域アーカイブとなる資料の蓄積が増えていきますので、町の人たちとコミュニケーションをとっていく積極性も求められてきます。
「昔のことは町の人達の協力から、今の神山の姿は自分達で出来ることから、4K映像でコツコツと記録撮影を行っています。神山の人口は、もともと2万人くらいだったんですが、今は65歳以上の高齢者がおよそ半分で、人口5000人を切ろうとしています。そうなると、今まで守ってきたお祭なども、あと10年後にはなくなってしまうかもしれないですよね。もし一度は途絶えてしまいそうなことでも、写真や映像、文章と一緒に記録として残しておけば、お祭りや文化をもう一度蘇らせる事も出来ます」(小松崎さん)
神山アーカイブキャラバンのイベント時の様子。(写真提供:えんがわオフィス)
「神山の小野という地域には、農村舞台という阿波地方に伝わる”襖からくり”や”人形浄瑠璃”を行う地域の寄り合いの場が今も残っているのですが、そこを支えてきた方々も、段々と年を重ねてきていて、後継者が足りていないと感じます。町の文化や芸能を継続して行くためにも、少しでも多くの人に見てもらえる機会をつくっておきたい。そのために、WEBサイトの構築も進めています」(小松崎さん)
都会と違って、田舎では目の前にいる住民の方々とも直に触れ合っているからこそ、地域の課題を肌で感じることも多く、その分、自分の仕事のやりがいにも繋がることも多いようです。
ちょうど菜の花が見頃だった、神山町江田地区の段々畑。
また、映像・WEBエンジニアとは別に募集をしている、システムエンジニアの先輩お二人にも話を聞いてみました。
「システムエンジニアは、自社開発している“線引屋”のシステムに関するお客さまからの問い合わせ対応や、要望を把握しながらクライアントのニーズに応じてシステムをカスタマイズしていくことがメインの仕事です。
多くのクライアントとの取引実績から様々な事例を見てきているので、お客さまに言われたままカスタマイズするのではなく、こちらからも提案して良いシステムを作り上げていきます。そういった要望に対応する時、まずは設計者が設計図を描き、製造者であるシステムエンジニアが対応していくのが主流ですが、うちは独立系のシステム会社なので、隣に設計者がいて、すぐに相談できる環境が整っていて、そういう意味でも働きやすいですね」(西本さん)
右が神山出身の西本尚人さん(25歳)。若いけれど、社内一落ち着いているとの呼び声が高い。左は玉川泰三さん(39歳)。約20年の東京ライフを経て、2年前にUターンした。
「東京でシステムエンジニアとして働いた後、転職してきました。放送業界ならではの専門用語があって、最初は理解するまで大変でしたね。でも、慣れれば分かってくるものなので、根気よく一緒に頑張ってくれる人が向いていると思います」(玉川さん)
システムエンジニアチームは、基本的にパソコン業務のため、ずっとパソコン画面とにらめっこする仕事です。でも、窓の外を眺めたときに、のんびりとした景色が眺められるのは田舎の良さでもあって、精神的な豊かさをもたらしてくれていますと話していました。
仕事と暮らしの境目が曖昧な田舎の生活
最後に、恵比寿本社で2年半ほどの勤務後、昨年神山オフィスへやって来た東京生まれのシティボーイ橋本敏和さんに、暮らしぶりについても伺いました。
入社3年目、橋本敏和さん(34歳)。映像アーカイブス担当。自転車好きで、徳島市内の家から約23km離れた神山町へ自転車通勤している。
「ずっと東京中心の価値観しか知らなかったので、田舎で暮らしてみようと思い神山へ異動しました。
ここでは、暮らしと仕事の線引きがなく、全体を楽しもうという感じですね。夏には浴衣で仕事をして町の方を招いて宴会をする浴衣デーがあったり、週に1度のまかないデーには社員みんなでごはんを食べたり。
ただその一方で、僕は普通に仕事をして普通に働きたいとも思っています。最初から神山に住むのはちょっとハードルが高いなと思い、今は徳島市内に住んでいて、それなりに都市的な生活も楽しんでいるんです。田舎では、その辺のバランスをとることが大切かなと思います」
蔵オフィスの螺旋階段を上ると、2階にも仕事場が。こういったオフィスのこだわりも田舎ならではかもしれない。
社員のみなさんは、神山町に住む人もいれば、市内から通う人もいます。神山町内に住みたい人は、神山町に一軒家を利用した社員のための男女別シェアハウスが月額1万円で借りることもできるそうなので、そういった制度を活用することも選択の一つのようです。
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最後に、割石さんからどんな方に来ていただきたいか、メッセージをいただきました。
「仕事も暮らしも含めて、神山を楽しんでいただける方が向いていると思います。神山町は、バスは1時間に1本ぐらいしか来ないし、お店は少ないし、一般的な常識でいえば、不便な田舎の町なんです。
でもだからこそ、東京にいる頃は気づかなかった自然の変化や暮らしの知恵を感じることもできます。例えば、新月の時は辺りが真っ暗で、その分星が綺麗に見えるとか、歩くときは懐中電灯が必要だとか。
それと、神山には話題になっている人がたくさんいますよね。あの人に会いたいと誰かに伝えたら、あっという間につながれる面白さはあると思いますよ。自分のやりたいことや意見を積極的に伝えてくれる方をお待ちしています」
撮影時に会社にいらっしゃった社員のみなさん。
取材中に印象的だったことは、誰に聞いても『人が良いのは間違いないですよ』と自信を持って、話されていたこと。そして、神山は最先端の町と注目されていても、あくまで “普通の田舎”であるということでした。
都会に比べれば、人との付き合いも濃厚で、いわゆるボランティア仕事も多いかもしれません。けれど、それもひっくるめて、人付き合いを楽しみながら、えんがわオフィスで仕事を始めてみませんか?
(文:上浦未来 写真協力:千葉大輔)
\えんがわオフィスの仕事の一コマ/
神山町で開催された「4K徳島映画祭2016」の際に、4K映像で撮影されたもの。年に1度開催されている映画祭では、全国から応募された4Kもしくは8Kで撮影された作品の中から優秀な作品を表彰し、ノミネート作品の上映を行っています。ひょっとしたら、この仕事もあなたが任されることになるかもしれませんよ。
Information
勤務地 | 〒771-3311 徳島県名西郡神山町神領字北88-4(通称:えんがわオフィス) |
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募集職種 | 1)WEB技術者 5名 2)システムエンジニア 若干名 |
申し込み受付を終了しました。
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