新潟県三条市は、古くから鍛治職人が腕を振るう金物の町として栄えてきました。和釘づくりから発展し、現在は刃物や利器工匠具をはじめとする優れた金属製品が生み出されています。400年以上も受け継がれる鍛治の技は、ものづくりに対する高い志とたゆまぬ努力によって支えられています。
今回、三条のものづくりの技を受け継ぐ、若き職人を訪ねました。
製品ひとつひとつが、試合のようなもの。リピートの注文がないと、試合に負けるくらい悔しい。
ヤマトキ製作所では13名の従業員が働く。一番上の職人は70代。技術継承が課題だ。
ヤマトキ製作所 小林 秀徳さん
元・プロボクサー、現・工場の専務取締役。異色の経歴を持つ小林さん。経営者であり職人でもあるその横顔には、闘志が今も静かに燃えている。
仕事のおもしろさについて「材料から完成品まで見られるところです」と教えてくれた。
「高3の時、たまたま立ち読みしていた雑誌に『君も働きながらプロボクサーをめざそう!』というキャッチコピーを見かけて。それがきっかけでした」
社長である父から会社を継ぐつもりはあったが、東京で暮らしてみたい気持ちもあった。社会人から始めて、世界チャンピオンになった選手は少なくない。ボクシング経験はなかった。でも、どうせなら一番上をめざそうと決めた。
「22歳の時に新人トーナメントで優勝。大会MVPも獲ったんですよ。2007年、29歳の時には日本タイトルマッチを闘いました。結果は判定負け。次の試合にKO負けして、引退を決意しました」
溶接の技術は引退後に学んだ。その時に初めて、職人の技術の凄さを実感したそうだ。
ヤマトキ製作所は、雨どいや雪止めといった建築金具を製造。また、火鉢の中で鉄瓶や釜の台にする「五徳」なども製品のひとつだ。小林さんは三条に戻ってから、職人の技術を学んだ。
「自分が中学生の頃から働いている職人さんもいて、高い技術を持っています。特に驚いたのが、鉄を叩いた時の音や感覚で、微妙な固さの違いが分かることですね」 鉄もコンディションによって固さが異なることがある。
同じ加工をしたとしても、固さが異なれば、角度や穴の大きさに影響が生じる。その誤差を修正するのが、職人の肌感覚だ。
雨どいに使われる金具。小ロットでの受注や、特注品のオーダーにも対応している。
同社のルーツ「五徳」。地域のデザイナーと組んで、新商品づくりにも挑戦している。
「自分が何度もやり直している作業を、あっという間に、しかも簡単そうに終わらせるんですよ」
そう語る小林さんは、ちょっと悔しそうだ。 同社で働くようになって、もうひとつ驚いたことに対応力の高さがある。
「『手に収まるくらいの大きさで、こんな大工道具を作ってくれ』と、ざっくりとした依頼が来ます。そこから簡単な図面を起こして、実際に作ってしまう。お客さんは『そうそう、こんなの』と喜んでくれる。できてしまうから、また相談が来るんですよね」
実家の工場で働く今も、現役時代の経験を活かして、知り合いのジムでボクシングを教えている。
ずっと個人戦だったボクシング時代と違い、今はいわば会社というチーム戦。だが、精神面での共通点もあるという。
「製品ひとつひとつが試合だと思っています。不良品はどうしても出ることがあるのですが、次に注文が
こないことがとても悔しいですね。ボクシングで負けたのと同じくらい悔しいんです」
職人の技術を学び、経営者として会社の未来を考える。「両立が難しい」と小林さん。
経営者と職人という二足のわらじで歩む現在。生まれ故郷の三条は、その目にどう映っているのだろうか。
「スノーピークやSUWADAといった成功している企業が身近にあって、とても刺激になります。『何かやってやろう』という気概を持った人が多い町ですね」
いつか自分のジムも作りたいと語る小林さん。経営者として、職人として、ボクシングを愛する者として。小林さんの挑戦は続く。
ヤマトキ製作所創業から約80年。小林さんで4代目の老舗メーカー。五徳、ネズミ捕り、モグラ捕りといった暮らしの道具の製造からスタートし、現在では雨どいや雪止めなどの建築金具が主力製品。材料調達か製品完成まで一貫対応できることが特長。ちなみに社名は、屋号によく用いられる「ヤマ」に、創業者の名前の一部「トキ」を組み合わせたもの。近所に「小林さん」が多かったので、違う名前をつけようと考案されたそうだ。
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(写真:川俣 敦史 文:横田 孝優)
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