熊野。紀伊半島の南端に位置する和歌山県南部と三重県南部からなるこの地域は、神話の舞台であり、神々が宿る聖地として古来から日本人があこがれを抱いた信仰の地。信仰の中心となる熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる熊野古道は、皇族や貴族から庶民にいたるまで、途切れることなく古人がさまざまな願いを胸に歩いた祈りの道だ。
近年は都市部からのアクセス悪さゆえ、「陸の孤島」「日本で東京からもっとも遠い場所」などと呼ばれてきたが、2004年にはユネスコの世界遺産に登録されて再び脚光を浴び、昔の賑わいが戻ってきている。
一方、「陸の孤島」だったからこそ、熊野には古くから継承されてきた自然や文化がそのまま残されてきた。熊野の山道を歩くと、どこか懐かしく、神秘的な気分になるのはそのためかもしれない。ここに残る懐かしい日本の原風景に魅せられ、この地に移住してくる人も少なくない。「TURNS」は、地域資源を活用してまちづくりをする若者たちに着目した。
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「kumateng」は、この地の自然や暮らし「ほんとうの熊野」を知ってもらいたいと、2012年に結成されたツアーガイドのネットワークだ。メンバーは農業や漁業に携わる人から、民宿経営者、セレクトショップオーナーまでじつに多彩。熊野エリアで山や川、海など自然とかかわる仕事をしながら、地域資源を生かしたグリーン・ツーリズムを実践する若きキーマンたちだ。地元出身者、Iターン者と、南紀エリアに魅せられた経緯はさまざまだが、この地に残る「宝」を守り、伝えたいという想いは共通だ。
「kumatengのメンバーは、自分が感動したことを伝えたいと思える人たち。同じ想いを持った人がつながることで、それぞれの本業にも、地域にもプラスになります」(石本慶紀さん)
【01】みかん農家 kumateng代表 石本慶紀さん(三重県紀宝町)
祖父の代から受け継がれてきたみかん農園を継いだ。園主として、まちをつくるひとりとして、地域を縦横無尽にかけめぐる。
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じいちゃんの段々畑でつくる ”太陽のみかん”と熊野の未来
先人たちの知恵がつまった 段々畑でみかんをつくる
kumatengの会長、石本慶紀さんは、三重県の最南端、和歌山県との県境にある紀宝町で生まれ育った。熊野灘からの潮風がやさしく包む温暖なこの町で、三代続くみかん農家を営んでいる。
石本果樹園は、慶紀さんの祖父、金吉さんが1939年に開園。温州みかんの栽培から始め、第2次大戦からの帰還後、畑を拡張した。当時は隣の新宮市が外国貿易港として賑わっていた頃。妻のナラヨさんはみかんをリヤカーに積み、8キロ離れた新宮駅へ毎日のように行商に通ったという。二代目の富男さんはこの地域初のハウス栽培を始め、さらに果樹園を拡大。現在では「はるぽん」や「カラ・マンダリン」など年間約40種類の柑橘類を生産・販売している。木成完熟での収穫にこだわったみかんは驚くほど甘く、どこか懐かしい味がする。
高校卒業を機に若者の多くが都会へ出ていく紀宝町。次男でありながら、慶紀さんが町に残り家業を継ぐことを決心したのにはあるきっかけがあった。中学1年だった1990年の秋。伊勢湾台風に次ぐ最大級の台風が、紀宝町を含む熊野全域を襲った。果樹園も大きな打撃を受け、被害を知った全国各地のお客様から多くの支援物資や励ましの手紙が届けられたのだ。
「親のやってきたこと、じいちゃんとばあちゃんがやってきたことはすごいなあと感動しました」
家業を継ぐ決心をした慶紀さんは、高校卒業後、三重県農業大学校に進学。2年間果樹の栽培技術を学んだのち、大分県にある果樹の試験所で修業。23歳で帰郷し、石本果樹園の三代目となる。
海を見下ろす段々畑の果樹園。ここは初代の金吉さんが山の斜面に石を一つひとつ積み上げて造った畑だ。どの木にも一日中さんさんと陽が降りそそぎ、水はけもよい。積み上げられた石が熱を蓄え、日が沈んでからも根っこをあたたかく包み込む。耕作機械を入れられず不便さはあるが、先人の知恵が詰まったこの場所は石本果樹園の象徴だという。
次世代に、かっこよく 負けない農業をつなぎたい
「じいちゃんが築いたこの段々畑は、ずっと残していきたいんですよ。じいちゃんの想いと初心を忘れないために。そして次の世代に伝えていくために」
次世代への想いを口にする慶紀さんは、来年40歳を迎える。農業を始めた17年前には120軒あったみかん農家は現在70軒まで減少。そのうち若手といわれる40歳以下は7人だけだ。「苦労ばかりの農業ではなく、かっこいい農業。負けない農業をめざしたい」という慶紀さん。農業人らしからぬ出で立ちでメディアに登場するのは、農家のかっこいい姿を見せることで、一人でも農業をやりたいと思う人が増えればと願っているからだ。
グリーン・ツーリズムを始めたのも、体験を通して農業や自然への理解や関心を深めてもらうため。農業体験をした人のなかから将来農業を志す人が出てきたら最高だが、みかんがどんな場所で、どんなふうに育てられているのかを知ることが、食べ物のありがたみや郷土愛を感じるきっかけになればと考えている。
「農家にとってどちらが大切だと思いますか?」
段々畑の入り口にある二つのみかんの木を指さし、慶紀さんはそう問いかける。ひとつはたわわに実がなっている木。そしてもうひとつは、ほとんど実がなっていない木。みかんは「隔年結果」という、実を多くつける年(豊作)と、実をつけず木が成長する年(不作)を一年ごとに繰り返す。
「実をつけることも木を成長させることも、どちらも大事なんですよ。人生も一緒です。よい時期もあれば悪い時期もある。グリーン・ツーリズムを通じて、そういうことを伝えていきたいんです」
文:山田智子 写真:みやちとーる
全文は本誌(vol.21 2017年2月号)に掲載
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