【前編】埼玉で農ある暮らしを叶える人々を訪ねる。
埼玉の魅力を再発見して、農を身近に感じる2日間。[Report 2016.11.12-13]
都会でもあり、田舎でもある。
”ちょうどよい埼玉の魅力”
埼玉県は、東京からのアクセスもよく、関東近郊に住む人々がレジャーで訪れるスポットも多い。それゆえ、身近な場所ではあるのだが、”自然の近くで暮らしたい””家庭菜園や自給自足など農的な暮らしを楽しみたい”と思ったときに、なぜかイメージとして浮かばない。それはなぜだろう。
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改めて埼玉県を見直してみると、都心のすぐ近くであっても田園風景が広がっていて、野菜や果物など埼玉県産の農作物も豊富に育てられている。”ベットタウン”というイメージが定着してしまっていたが、秩父のような山間部もあれば、美しい清流と自然に囲まれた里山エリアもある。思った以上に広い、そんな風に思えた。
今回は、そんな埼玉の魅力を再発見するきっかけになればと、先日行われたTURNSツアーの様子とともに、現地で出会った方々を紹介していきたいと思う。
そして、もし”埼玉で農あるくらし”を体験したいと思ったら、ぜひここで紹介する方々を訪ねてほしい。埼玉は都心からもっとも近くて、いつでも気軽に行ける、身近に農がある場所だからだ。
無農薬無肥料の自然なままの味わいをビールに
天候に恵まれ雲ひとつない青空で始まった、1泊2日のTURNSツアー。
飯能駅に集合して向かった先は、世界20ヶ国のオーガニックナッツなどを扱う貿易会社「FAR EAST」が昨年より始めた農業部の拠点となる古民家。
まさに、絵に描いたような里山風景の中にあるその古民家には、このあと染料になる藍の乾燥葉があり、軒先には紙漉きのための楮が干してある。田舎のおばあちゃん家に来たようなゆったりとした空間だ。
出迎えてくれたのは、FAREASTの農業部を担当している、高島愛さん。
高島さんは関西出身で、農業部に配属されるまでは埼玉に縁もゆかりもなかった。それでも、自然や土のある暮らしに惹かれ始めていたところでの配属だったこともあり、何の迷いもなくこの地へ移り住んできたそう。
「FAREASTで働く以前は、アフリカンダンスの先生をしていました。そこで色々な価値観に触れることができて、世界観も変わりましたね。アフリカをきっかけに異文化の面白さに魅かれて、その後も国内外を放浪した末、世界各地の文化と繋がる”FAR EAST”と出会ったんです。はじめは出身地の関西の店舗で勤めていましたが、農業プロジェクトの発足と共に飯能に移住してきました。これもまた全くの別世界。こんなチャンスはなかなかないと思ったので、迷いはなかったです。
農業についてはまったくの未経験でしたが、周りの農家さんが色々と教えてくれたり、様々な方が協力してくれて、なんとかここまで来れました。もちろん大変なこともありますが、挑戦させてもらえて、毎日が楽しいです。飯能市は自然が身近にある上、街にも近くて、ほどよいバランスが保たれてるので、ここでの暮らしも気に入っています。」(高島さん)
飯能市では農のある暮らしを応援していることもあり、飯能市役所から協力を受けられることも大きかったようだ。ツアーの日は、そんな飯能市役所の担当者も古民家へ来てくれて、飯能市の取り組みや制度なども紹介してくれた。
「飯能市は、池袋へのアクセスもいいので、都心に通勤している人も多いです。都心への通勤圏にありながら、市内には自然が身近にあるので、農のある暮らしをしたい人にとってはピッタリだと思っています。私も、休みの日は自家菜園の畑仕事をしながらリフレッシュしたりしていますね」(飯能市役所の小見山さん)
小見山さんは、そんな自身の体験談を話しながら、自宅で採れたという野菜を1名限定で参加者にプレゼントしてくれた。思わぬサプライズにその場は歓声があがった。
農場や古民家の周辺を案内していただいた後は、今年の夏にとれたばかりのホップで作った飯能産の地ビール「アラビアン・ライムエール」も試飲させていただいた。
何より香りがとてもよくて、苦味が少なく飲みやすい。世界最古の酒、ビールの起源を再現したいというFAR EASTらしさを感じる味だった。
「農業部が始まって、ちょうど1年くらいが経ちました。これまでに藍、麦、ホップ、醸造用ぶどうなどをつくってきましたが、おかげさまでビールづくりに取りかかれるまでになりました。元々うちの会社では、自然の甘みや美味しさ、そのものをいかした商品づくりに取り組んできたので、農業部でも無農薬、無肥料で挑戦しています。その分、手がかかるし、自然相手なので思うようにいかないことばかりです。でも、どんなことでも試してみる。難しいといわれることも、真剣に向き合えば、誰もが想像できないものができる。それが、FAREAST流なのかなって思っています。」(高島さん)
高島さんを通して、FAR EASTの会社像が垣間見え、すっかりファンになってしまった一同。
来春4月には、飯能河原にレストランもオープン予定とのこと。参加者一同待ちわびるように、古民家をあとにした。
地域の人がふらっと立ち寄る マルシェのようなカフェ
続いて向かったのは、越生町にあるカフェ「オクムサ・マルシェ」。店主の浅見さんご夫婦は、約2年半の二拠点生活を経て、今年の8月から本格的に越生町での暮らしを始めた。
この日は、越生町出身であるアツシさんのご両親や親戚の方々もお店の手伝いにきてくれて、奥武蔵でとれた旬の有機野菜をふんだんに使った特製の薬膳カレーをもてなしてくれた。また、越生町は梅林が有名ということで、自家製の梅ジュースもいただき、すっかり奥武蔵の食材に満たされた。
「この辺りは、ハイキングやサイクリングのコースになっていて、埼玉の都市部や県外から訪れる人も多いですね。それだけでなく、地元の方たちもランチやお茶に来てくれます。偶然訪ねてきてくれた方が、話を聞いてみたら移住したいというので、相談に乗ったり人を紹介することもありますよ。意外にもそういう方が多くて。
最近では、自分たちでパンフやチラシを集めていて、来たときに情報を伝えられるようにしています。勝手に移住相談窓口みたいになってますね(笑)」(浅見アツシさん)
”奥武蔵エリアの人々がふらっと立ち寄れる拠点にしたい”という二人の思いどおり、単なるカフェだけではない良さが浅見さんご夫婦の人柄から溢れているようだ。
この日も、そんな奥武蔵の仲間たちがお店に駆けつけ、ツアーを盛り上げてくれた。
まず初めは、となり町のときがわ町に同じく移住をし、フラワー作家として活動する名里麻美さんによる里山の自然をいかした小物かごづくりのワークショップ。
「材料であるツルや葉っぱは、家の周りにあるものから探して拾ってきたんですよ。都会ではなかなか材料を集めるのは難しいかもしれないけど、この辺りならいくらでも見つかります。ぜひ旅の行く先々で葉っぱや木の実を拾いながら、自分だけの秋のかごを作ってくださいね。」(名里さん)
まさに、自然豊かな奥武蔵ならではの仕事なのかもしれない。名里さんは、ときがわに移り住んでから古民家を改修し、現在は”nono-hananotane”という屋号で教室としても運営しているようだ。
参加者たちは、慣れない作業に戸惑う場面も見せながら、名里さん指導のもと集中して制作作業に取り組み、短い時間ではあったが、思い思いの秋を表現した。
ワークショップのあとは、浅見さんご夫婦と名里さんに加え、ときがわ町でクラフトジュースを作っている”ときがわブルワリー”の小堀利郎さんと、木工作家として活動する熊川栄司さんも交えて、みんなで円になりプチ座談会を開催した。
ゲストは全員がIUターンでこの地に移住したということもあり、“移住をする上で準備しておくことは?”“都会に戻りたくなる瞬間はありませんか”など、参加者からはリアルな質問が次々と飛び交った。
※左から:小堀さん(ときがわブルワリー)、熊川さん(木工作家)、名里さん(フラワー作家)、浅見アツシさん・ヨウコさん(オクムサ・マルシェ)
《参加してくれたゲストの皆さん》
■オクムサ・マルシェ 浅見アツシさん・ヨウコさんご夫婦/結婚を機に、アツシさんの地元である越生町へ二人でUターンを計画。まずヨウコさんが中心となり二拠点生活をしながら、週末限定でカフェをオープン。今年の8月より本格的に拠点を移し、アツシさんもカフェ運営へ携わっている。
■フラワー作家 名里麻美さん/4年前より、ときがわ町へ移住。2児の母。”nono-hananotane”として、リース販売やワークショップなど活動中。最近では、仲間たちと田んぼをシェアしたりと農的暮らしも実践している。
■ときがわブルワリー代表 小堀利郎さん/クラフトビール造りをするため、水のきれいなときがわ町へ移住。現在は、農家が市場には卸しづらい規格外の果物を使い、クラフトジュースの製造販売を行っている。
■木工作家 熊川栄司さん/桐たんすの修行を積んだのち、京指物師の元で師事。埼玉県越谷市にて独立開業したが、よりよい環境を求め、ときがわ町にて住居兼工房を移し木工作家として活動中。
—-■移住する上で大事なことは、何かありますか?
「まず、移住後のわくわくした暮らしを思い描くことが大事だと思います。僕たちは越生に来ようと思ったときに、どうしたら移住後の暮らしが楽しくなるのかと二人で考えました。自然環境の豊かさには大満足していたので、その環境から生まれる地元の食材やものづくりも楽しめて身近に通えるお店があったら、日々の暮らしがさらに楽しくなるだろうなぁと思って。それで、オクムサ・マルシェの原型ができましたね。
そのあと、家族や親戚一同にもプレゼンをしたんですよ。そしたら、叔父が使ってない車庫を試しに使ってみたらいいじゃないかって提案してくれて。みんなで話し合った結果、今の形になったんですよね。今日みたいに忙しい日は、家族総出で手伝ってくれるし。本当に恵まれた環境でありがたいですよね」(アツシさん・ヨウコさん)
「僕も町の人たちにプレゼンしましたよ。もともとはクラフトビールを作りたいと思って、この地に来たんです。それで、町の人たちに話したときに地域の名産品を使って欲しいと言われて。ときがわは、柚子やみかんが採れるので、じゃあそれを使ってみようと試行錯誤していたら、意外にも柚子で作ったジュースがおいしかったんです。そこから、クラフトビールならぬクラフトジュースづくりが始まりました。まず、協力者をつくることが大事だと、そのとき感じましたね」(小堀さん)
—-■これだけは準備しておけばよかったとか、移住当初に困っていたことなど、ありますか?
「田舎暮らしでは、大きな虫に慣れるまでが大変でした。都会の狭苦しい環境の中での暮らしに嫌気がさして移住したものの、いざ田舎暮らしを始めてみると『山や川の景色が綺麗だな?』だけでは暮らしていけないことに気づきましたね。夏は湿気も酷くて食器類にカビも生えたりして、今まで体験しなかった苦労もかなりあります。
だけど、人間が自然豊かな場所に住まわせてもらっているのだから、虫たちとも共存していくように努力しなければいけないとだんだん考えられるようになりました。自分をその環境に合わせることが大切だなって実感しましたね」(名里さん)
「この辺りは里山地域と言っても都心から近いので、週末カフェを試しながら移住の準備ができたのは良かったです。2年半で友人もたくさんできましたし、地元の方々にお店を知ってもらう機会づくりもできました。いきなり移住じゃなくて、助走期間が取れたことは本当によかったと思ってます。ただ、車の運転だけはできるようにしておいたほうがいいですね。暮らすためには車がないと、かなり不便です(笑)」(ヨウコさん)
「移住後に、カフェの平日営業を始めてみて分かったんですが、土日と平日に訪れる人の量が全く違うんですよね。そもそも平日は、まちにほとんど人がいません。だから、平日営業は思ったよりも大変でした。今はその分、平日は今後の計画を考える時間に当てたり、地道にやっていこうと決めています。東京で15年間携わったデザインの仕事の引き合いもいただけているので、副収入とのバランスもとりながら、お店を発展させていきたいですね。」(アツシさん)
—-■皆さん、家はどうやって見つけたんですか?
「僕は埼玉の中でも都心部のほうに住んでいました。だけど、作業する上で拠点がほしいと思っていたので、その条件に合う場所をいろいろ見ましたよ。本当はここだって決まりそうな場所もあったんですが、オーナーの都合で話が流れちゃったりして。それでたまたま、ときがわで見つかったんですよね。縁もゆかりもないし、全く何も知らないで飛び込んじゃいました。でも、結果的には理想の環境も整ったし、こうやって仲間たちが持てたことは良かったですね。」(熊川さん)
「僕も拠点が欲しかったので、今の家は購入しました。都心に比べてかなり安いし、購入してもそんなに負担にならないかなって思います。」(小堀さん)
「子どものため、自分たちのために、自然豊かな場所での暮らしを求めてここまで来ました。これから先、将来も何が起こるかわかりませんし、このまま奥地で子どもが住み続けたいと思うかもわかりません。なので私たちは、拠点を置かない賃貸暮らしが自分たちのスタイルに合っていると思ってます」(名里さん)
—-最後に、「都会に戻りたくなる瞬間はありませんか?」という質問がでたが、これには一同揃って「ない」の答えだった。
「全くないですね。たまに仕事で都内に出ることもありますが、どちらかというと早く帰りたいって思ってます。まぁ、刺激がもらえる場所ですかね。」(熊川さん)
「都会と違って、ここにいると、鳥の鳴きごえとか風で木々が揺れる音が自然と聞こえてきて、心が落ち着きますよね。」(小堀さん)
「私は東京生まれの渋谷区育ちで、自然に触れ合う環境が少なかったんですよね。でも、アツシさんと結婚して越生町を知ってから、本当に自分の故郷のように好きになって。ここに来れて、本当によかったなあと思っています」(ヨウコさん)
—-最後にアツシさんがこうまとめてくれた。
「埼玉って都心にすごく近いんですよ。だから、楽しそうなイベントも東京にいる友人にも会いに行こうと思えばいつでも行けます。二拠点での生活もそれほど苦にはならなかったですね。都会の刺激と里山の安心感を両立できる奥武蔵エリアは、本当に暮らしやすい地域だなあと思います。」(アツシさん)
都会すぎず田舎すぎない。それが埼玉の魅力なのかもしれない。それぞれ仕事も活動の分野も違えど、ゲストたちはみなここでの暮らしを楽しんでいるように感じた。
店内には、地元の野菜やお菓子、近隣に住む作家さんの作品なども販売され、周辺のみどころを紹介したパンフレットなどもまとめられている。ここに来るだけで奥武蔵の魅力をまるっと楽しめる、そんなマルシェのような場所になっており、買い物を楽しむ参加者でレジは行列になった。
田舎ぐらしにおいて大切なこと
オクムサマルシェをでたときは、すでに日も暮れ、暗い山道を走りながら、一行は秩父へ向かった。
横瀬町にある宿に到着してから、夕食を兼ねて秩父周辺で活動するゲストたちを囲んで、懇親会を楽しんだ。
《夕食の懇親会に参加してくれたゲストたち》
■井原愛子さん/興味本位で参加した秩父メープルのエコツアーをきっかけに、秩父へUターン。秩父の森づくりを行うNPOや関係団体の活動に参加しながら、2015年に自身の屋号として「TAP&SAP」を立ち上げ、自然の恵みを生かした商品開発やエコツアーの企画などを行っている。今年の春には、日本初のシュガーハウス「MAPLE BASE」をプロデュース。
■南麻耶さん/秩父市の地域おこし協力隊として秩父銘仙のプロモーションに関わり、任期後は伝統的な織物技術を習得するためスウェーデンに留学。帰国後は秩父に戻り、「Handweaver Magneti Pole工房」の立ち上げに参画。伝統工芸士・北村久美子さんの元で、全行程手仕事の秩父太織×北欧織の製品作りを行っている。
■足立志次磨さん・由美子さんご家族/2004年に、当時3歳だった長男と家族3人で秩父へ移住。皆野町で築100年の古民家を改装し、その際に余った古材を活用し始めたことがきっかけとなり、木工房「ツグミ工芸舎」をスタート。身近にあるものや自家採取の材料のみを使って制作を行っている。また、由美子さんは秩父市内の古い長屋を改装し、古布銘仙のリメイク服や木工品を扱う「百果店ひぐらしストア」をオープン。他にも、秩父の木材を使ったおもちゃ制作やイベントを行う「秩父もくもくきかく(秩父森画)」も運営し、秩父の木育を広める活動も行っている。
秩父は、埼玉の中でも”田舎”という言葉がとても当てはまる場所で、いわゆる昔からの仕来りがたくさんあると井原さんは話してくれた。南さんのように地域おこし協力隊として入って来てくれる若い人たちも少しずつ増えているが、全体でみると他県と変わらず高齢化率も高く、産業の衰退だったり就職先が見つからないという課題を抱えているようだ。
2日目でうかがう秩父メープルの現場となるカエデの森も、そんな林業の課題を抱えていて、次の世代へ繋げていくためにみんな頑張っているので、明日楽しみにしていてくださいねと期待を膨らましてくれた。
ゲストたちの話を聞きながら、その土地で自分らしい仕事を作り出している人々が多いという印象も受けた。
井原さんは何も知らなかったところから急遽Uターンをし、秩父メープルを広めていくため自分なりの関わり方を見出し始めているし、南さんは留学した後も秩父へ戻り、その技術を活かして秩父の伝統的な文化を継承しながら新しい活動に取り組んでいる。また、足立さんのように夫婦それぞれに仕事を作り出していて、しかも多方面で活動している人もいる。
もちろん、やりたいことを生業として成り立たせるのは簡単なことではなく、様々な努力があってこそだとは思うが、共通して、”他の誰でもなく自分がやりたかった” ”自分の仕事が好きで、誇りを持っている” だから続けている、活動できている、そんな風に感じた。これは、田舎ならではの仕事のあり方なのかもしれない。
足立さんは、秩父にくる以前はNYのマンハッタンに住んでいたそう。「世界の大都市から、なぜ秩父の山奥へ?」ということをよく聞かれるそうだが、足立さんいわく、全てストーリーとして繋がっていて、秩父へ来た時も、全く人の縁も無ければ仕事の関係もないゼロからのスタートだったが、何のしがらみもないヨソモノだからこそ、やれたこともたくさんあったと話してくれた。その時々に自分ができることをやる、それは世界だろうと日本の田舎だろうと関係ない、そう強く感じさせてくれた。
懇親会には、足立さんの二人のお子さんも一緒に参加してくれたのだが、井原さん、南さんとまるでお姉ちゃんのように接している姿をみて、ゲストたち同士の仲の良さも伺えた。活動分野は違えど、それぞれが励ましあいながら相互に関わっているようで、そんな関係性の中で育っているお子さんたちは、とてものびのびとしている。まさに、自然の豊かさだけではない子育てにおける大事な部分も垣間みれる時間となった。
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1日目を終え、思っていたよりも埼玉はいろんな要素がある場所だと思った。ここで出会った人々は、地元に戻ってきた人もいれば、Iターンで移住してきた人もいたが、みんなそれぞれ、いま住んでいるまちがとても好きで、自分の活動が少しでもまちのためにも繋がればいい、そんな感覚で仕事をしているようだった。
それは、地域活性をしたい、まちを変えたいといったような強い気持ちというよりも、住んでいるからこそ当たり前に湧き出てくる思いのように感じた。もしかすると、その湧き出てくるものにこそ、本当の意味での地域づくりにおけるヒントが隠されているのかもしれない。そんな思いを抱きながら、2日目へ続いていく。
>>【後編】はこちらより
【文:須井直子 写真:服部希代野】
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