さらなるものづくりの深淵を追求するため、
タルマーリーは鳥取県の智頭町に移転した。
過疎が進む地方の山奥で小商いを営むこと、
そして彼らが目指す「腐る経済」は、
パンに、地域に、彼らにどんな影響を及したのだろうか。
時間=お金という
常識から脱却する
タルマーリーのパンはまるで清流ですくった水のようだと思う。
美味しさを添加するのではなく、小麦本来の甘さや香りが引き立つのを待ちかまえてパンにするような。自然の摂理に則っている味は、しみじみおいしい。
イタルさんの著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)では、パンが発酵するとき、小麦や水、そして菌がお互いに影響を及ぼしあって生地を膨らませる。そんな相互関係のように、地域社会もお互いが関係しあって循環することが真の豊かさなのではないかとパンを通して説いている。
「腐る」とはつまり「発酵」することである。
イタルさんは智頭町の素晴らしい菌たちとたわむれパンを焼いていると思いきや開口一番、「僕転職したんです」と宣言。えー!
「智頭町に移転して、タルマーリーはクラフトビールをつくるようになりましたが、うちのビールの礎をつくった醸造長が独立することになったので、代わりに僕がビール職人を志すことにしました」。
パン製造を任せられる逸材に巡り会えたことでイタルさんは新しい挑戦を思い至ったそう。15年間磨きあげた技術や思いを第三者に受け継げた喜びは計り知れない。
「今までたくさんの人に技術も教えてきたけど、多くの人が短期間で辞めてしまった。その原因のひとつとして、僕は資本主義社会のなかで時間と戦ってきた事を感じています。職人なのにサラリーマン並みに休みを確保しようとして、既存のパンの製法で合理的に仕事を詰め込もうとしていたから、きっとうまく人材が育たなかった」
“腐らない”お金が中心の経済では効率化や過剰な利潤を求める資本主義を推し進めるあまり、環境破壊や経済破綻を引き起こし、根本的な豊かさを失うことがある。
「せめて従業員には週休2日は確保したい。でも店で週5日パンを焼こうとすると結局自分は休めなくて、弟子が増えると負担も増えて、疲れた部分もありました。そこでパンの製法を変えようと思ったんです。発酵時間を一週間じっくり発酵させる製法に変えたら心も体も楽になって。そこで生まれた良い循環がいい職人と出会わせてくれた気がしています」
彼らのものづくりに新たな新陳代謝をもたらしたものは、囚われていた資本主義経済の価値観から解放されたことだったようだ。
地域内循環と商いと
ものづくりの関係
タルマーリーが智頭町にきたことで変わったように、彼らが地域に及ぼす影響も大きい。
「近所で慣行農法をされていた農家さんがうちのために無肥料・無農薬でトマトをつくってくださるようになりました」(マリさん)
タルマーリーとしては安心安全な食材を身近なところで手に入れられるメリットがあり、農家は、作付けの時点で買い手がいることによって安定した農業を営むことができる。理想的な循環だ。
「もちろんお金で買取っています。田舎とはいえ経済的にも循環しなければ持続可能とはいえません。質の良さや安価を求め、遠くのものを仕入れるのもひとつの商売の方法かもしれないけれど、僕らは地域がつながって新たな豊かさを育てるほうを重視します。極端にいえば、栽培にこだわるより、地元のおじちゃんにちょっとずつ意識を変えてもらうことにも価値がある」とイタルさん。
マリさんも「うちが智頭町に来なければ、その農家さんは一生、自然栽培にたずさわらなかったといいます。つくり手が自然農法に目覚めたことも私たちにとって嬉しいこと。良い連鎖を生んでいきたい」
原価を下げれば利潤が増えるが一時的に自分の手元に利潤を残すよりも地域の農家が潤うほうが長い目でみればメリットが大きいとタルマーリーは考える。
「腐る経済」でも、適正価格で売ることの大切さを説いている。タルマーリーで売っているものたちは、原料や製法までがフェアなものである。
「タルマーリーのお客さまたちは、商品の裏にある、私たちの物語に対価を支払っていただいている気がしています。仕入れから一貫してできるだけ、幸せにつくられているものを使う。不幸を生まないものを買い取って、うちでも不幸を生まないつくりかたでものをつくる、それを目標にしてきました」(マリさん)
消費は社会活動に対する投票というが「パンを買う」という日常にありふれた行為を自分にとって気持ちいい方に選択することが、社会に意味のあるものづくりを後押しすることを覚えておきたい。
文:アサイアサミ 写真:片岡杏子
※記事全文は、本誌(vol.26 2017年12月号)に掲載
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