よんでみる{ レポート }
Update on 2017.07.11

下北山村で、きなりの暮らしを営んでいく

【取材インタビュー】奈良県・下北山村で暮らす人びとを訪ねて

紀伊半島の大自然と清流が育む
きなりの暮らしが叶えられる、美しい水辺の郷。


紀伊半島の中央部分に長く伸びる大峰山脈の東側、8集落に895人が暮らす奈良県・下北山村。

ここで暮らす人々には、自分らしく生きる”きなりの営み”が根付いています。
”きなり”とは、日本独特な表現で、生地そのまんまの、混ざり気がないありのままという意味。

大自然の恩恵を受けながら、自然と人が共存し合い、古くからある伝統を受け継いできた、心の故郷のような場所かもしれません。


そんな”きなりの営み”に惹かれて、名前も知らなかったこの村へ、大阪、鎌倉、埼玉から越してきた人々がいます。あらためて考えると、“移住”は結果にすぎなかった。自分にとってよりよい暮らしを求めていたら、ここにたどり着いたと話してくれた皆さんは、飾らずありのままの無垢な下北山村にすっかり馴染んでいるようでした。

「きなりの郷」と呼ばれる下北山村で、本当の豊かさを体感してもらうため、9月には移住体験ツアーが開催されます。とろっとろのナトリウム泉に、澄みきった川、アユ釣り。知ってほしいことは山ほどありますが、今回はきなりの人たちを通して、下北山村を少しでも知ってもらえたらと思います。

ツアー詳細はこちら。
きなりの郷・下北山村をまるっと体験ツアー



今注目されている、持続的な林業に取り組む


下北山村の地域おこし協力隊として自伐型林業に取り組んでいる小川智也さんは、今年の3月までパチンコ店ではたらいていたそう。

「大阪・羽曳野市に20年住んでいました。休みになると、奈良・十津川村によくドライブに行ってたんです。それで、ふと山を見ていて『子どものころはこんなに土砂崩れもなかったよな』と、ぼんやりと思ったんですよね。」(小川さん)


「仕事を続けて10年経って。違うことをしてみたいな、というのもあったんですかね。何から始めたらいいかわからなかったけど、林業の講習を受けてみようと思って。その時ちょうど、下北山村で自伐型(じばつがた)林業家を募集していたんです」

従来の林業とはなにが違うのだろう。

「個人でも比較的はじめやすい林業なんです。僕自身、山に何かできないかなと思ってみたけど、ピンと来る就職先に出会えなかったんです。

でも、自伐型林業は“自営の林業家”なんですよ。山の斜面を切り開き、2.5m幅の作業道をつける“道づけ”からはじまります。自分で木を伐倒して、2tトラックひとつで丸太を運び出して、苗木を植えていく。自分で色々なことに携われる分、面白そうだと思いました」


この日は、寺垣内地区にある村有林で“道づけ”を行っているところだった。

「これから木を切るんで、見ていきますか?」

ヴウウウンと、チェーンソーの音が森に響いた。
木の根元に“ウケ”とよばれる切り込みを入れた。そこへ再びチェーンソーの歯をあてる。

「ちょっと曲がっとるんで、木の頭はあのへんに倒れるかなあ」

根元を切ること、ものの数秒。メキメキッと木が倒れていった。


下北山村では現在、小川さんを含めて4人のメンバーが自伐型林業に取り組んでいる。
年齢は26歳から41歳。出身は鎌倉から大阪までさまざま。

「2014年から2016年にかけての808日間、世界一周に出る中で、森に目が向いたんです。もともと、吉野・熊野エリアがおもしろいなと思っていたところに、自伐型林業家を募集していると聞いて、下北山村を知りました」(小野さん)

△青いシャツの小野さんの前職は、出版社。夫婦で鎌倉から越してきた。

「自伐型林業の特徴の一つが、副業をすすめていること。たとえば、夏場はゲストハウスを営み、カヌーガイドをして、冬場に山の手入れをする人も現れています。

この場所って、奈良・和歌山・三重の県境なんですね。吉野でありつつ、熊野との結びつきもあって。かと思えば、世界遺産に認定されている修験道の道『大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)』も走っている。そういう大自然に囲まれていて、手つかずの資源が眠っているところが、おもしろいなと思いますね」(小野さん)


未経験の人でも新規参入がしやすい自伐型林業。全国的にも持続可能な森林経営のシステムとして、注目されている。そんな森づくりに取り組みはじめた下北山村は、これから新しいことがどんどん始まっていくように感じた。



この村でしか育たない特産品を支える農業のしごと


工藤延春(くどう のぶはる)さんは、2012年に下北山村へやってきた。
現在は、”NPO法人サポートきなり”に所属し、野菜づくりを中心に活動を行っている。生まれ育ちは大阪市生野区。北海道の大学で酪農を学び、青年海外協力隊としてドミニカ共和国へ。千葉で17年暮らし、スーパーに勤務していた。当時は、『食材を売る側の人だった』という。


「農業がしたかったんです。いったん大阪に戻り、奈良・宇陀(うだ)市の農園で研修を受けているときに、下北山村で農業の担い手を募集していると知りました。

ここでしか育たない“下北春まな”という野菜があって。奈良県の大和野菜に認定されていて、年々注文は増えているけど、生産者は減っているんです。それで、栽培に取り組む人を募集していて、これだ!って思いましたね」(工藤さん)

ここでしか育たない野菜という響きに惹かれる。果たして、育てるのが難しいのではないだろうか?


「二期作でもできるのではと思って、下北春まなを夏に育ててみたこともありますよ。育ちはするんですけどね・・・。やっぱり秋植えの春収穫でないと美味しくない。それで二毛作に切り替えました。今年は、まくわうりを育てています。

収穫は年に一度ですからね。今年のデータは取れても、来年は植える場所も、天気も変わる。それがむずかしさであり、面白さでもありますね」

川沿いにある工藤さんの畑は、腰かけているだけで、何だか落ち着く場所だ。聞こえてくるのは水の音、鳥の鳴き声、風に木が揺れる音。炎天下にも関わらず、大豆畑の前でついつい長居をしてしまった。


「個人的に、田んぼもやっています。自分の食べるものを自分で作れる。その安心感は田舎の特権ですね」

工藤さんの畑には、9月のツアーでも訪れる予定。水と自然に恵まれた下北山村ならではの農業や食についても、改めて伺ってみたいと思った。



村の一員として、自分にできることをやる


ツアーの訪問先として最後に訪ねたのが、埼玉県川口市から引っ越してきて18年の本田昭彦(ほんだ あきひこ)さん。長野県の温泉旅館へ就職し、そこで下北山村出身の妻・美紀子さんと出会った。

現在、”本田木材工作所”の屋号で、日本全国から家具の注文を受けている本田さんが木工を始めたのは、ひょんなことがきっかけだったそう。


「最初は、自給自足な暮らしへの憧れもあって。山の湧き水をひいて、無農薬で野菜作りをしてみたり。ヒルにあちこち吸われながら、水源地へも入りましたね(笑)

現金収入を得るために、色々なアルバイトもして。ダムの測量、山村留学で訪れた子どもたちが寝泊まりするやまびこ寮の宿直、バスフィッシングのマリーナスタッフ。塾もやらせてもらいましたよ」(本田さん)


そんな毎日を過ごしていた本田さんが、ふと気づいたのが流木だった。

「ダムの湖面に浮かぶ流木を見て、何か使えないかなって思ったんです。始めはホームセンターで道具を揃えて、日曜大工をしてみて。やがて廃業する木工作業所から機材を譲り受けることになったんです。」


「徐々に徐々にですね。ようやくここまで来たところです。

もともと木工の学校を出たわけでも、デザインを学んできたわけでもない。自分の中のこだわりが強すぎなかったというか、きっちりとした伝統的な木工を求めてなかったから、何とかここまでやってこれたのかもしれませんね(笑)」

18年目というと、もうすっかり地元の人に溶け込んでいるように思う。本田さんから見た下北山村は、どんな印象なのだろう。

「ここで十分かなって思います。美紀子(妻)に言わせると、『広葉樹のきれいな長野県あたりがよかった』とか言うんですが(笑)まあそれも分かるけど、でも、自分はここで十分だなって。
ちょっと嫌になった時期もありましたよ、もちろん。でも、むしろそれがきっかけで、自分自身が変わってみようかなと思ったんですね。村に来たときは自分のことで手一杯でしたから。」


本田さんの『ここで十分』という響きが、とても腑に落ちた。

「こっちに来てから、本を読まなくなりましたね。前もって知識を備えておくことがなくなったんです。知識を増やすより、手を動かして、わからないことが出てきたら、その都度調べる。自分にバイタリティが湧いていたら、そういう場所に身を置いていたら、大丈夫だと思っています。」

本田木材工作所は、今大きな転換期にあるという。


「ここ数年、村が林業に力を入れる中で、木材加工で声をかけていただく機会が増えているんです。育ち盛りの子どもが2人いる中で、妻と2人で背水の陣なので大変ありがたいことです。その分、木工から建築材の分野にも広がっていく可能性もあります。正直なところ、今までの規模感でやっていきたい気持ちもあります。でも、他にやる人がいないのが、村の現状で。あとは、自分自身にようやく柔軟性が出てきたことも感じています。」

2017年には、かつて宿直のアルバイトをしていた”旧やまびこ寮”(現在はコワーキングスペース SHIMOKITAYAMA BIYORI)に、家具を製作・納品もした。そうした中、美紀子さんも勤めをやめて、6月から木工の仕事を手伝いはじめた。

△本田さんの作った家具の納品が完了した コワーキングスペース SHIMOKITAYAMA BIYORI

「まぁなんとかなるか、というところで。前もって考えすぎちゃうと、先へ進まないんでね。とにかくやらなアカンこと、一つひとつやっていったらいいのかなって思います。」

背伸びするわけでもなく、等身大な本田さんの立ち振る舞いは、まさにきなりな暮らしのようだった。




今回の体験ツアーを企画している奈良県庁職員の岩本佳子(いわもと よしこ)さんにもお話を伺った。岩本さんの出身は奈良・西吉野町。スーパーもコンビニもない環境で育ってきたという。

奈良県の南部を盛り上げたいという思いから、奈良県職員になり、現在、下北山村役場へ出向中とのこと。


「下北山村にはいいところがたくさんあるな、と思うんです。『ヨソから来た』という感じがあまりなくて。村の人たちと一緒に夕ご飯を食べることもあれば、延々とご近所さんと“おすそわけ合戦”が続いたり。林業がありつつ、奈良県の南部にしてはめずらしく平地に恵まれていて、田んぼ・畑も始めやすいです。

それから、ちょうど昨日、海釣りに連れて行ってもらったんです。え、奈良県って海がないのにって思うかもしれませんが、下北山村は近隣の海まで1時間もかからず行けちゃうんですよ。
村内での渓流釣り、バス釣りはもちろん、三重の尾鷲や和歌山の田辺で海釣りもできる。だから、『釣り好きにちょうどいいんやよ』ってよく聞きますね(笑)」

岩本さんも下北山村での暮らしを満喫されているようだった。


最後に、今回のツアーにどんな人に来てほしいか聞いてみた。

「『どこか、いい田舎ないかな』と思っている人の目に止まってくれたら嬉しいですね。まずは、『こんな村あるんや』と知るきっかけになってもらえたらと思います。村に来たら、絶対に好きになってもらえる自信はありますよ(笑)」

下北山村の人々は、岩本さんがおっしゃるように、ヨソから来た感覚を忘れさせてくれるような、飾らないありのままの素朴さがあるように思う。今回、取材にお伺いさせてもらった皆さんも元々この地にゆかりがあるわけではなく、縁が巡り巡ってこの下北山村に辿り着いているが、なんとなく村に馴染んでいるように感じた。

もちろん、田舎暮らしにはいい部分もあれば、その分不便なことや面倒くさいことも一緒についてくる。だけど、全部ひっくるめて考えた時に、自分にとって心地よい暮らしはどこなのかと考えることが何より大切なのかもしれない。そういう意味で、自分らしいきなりな暮らしをしている人に出会いたければ、下北山村はぴったりな場所だと思った。

(文・写真:大越はじめ)


***

▼記事でご紹介した活動や人々に触れられる「下北山村 移住体験ツアー」の詳細はこちらより

きなりの郷・下北山村をまるっと体験ツアー


[sponsored by 下北山村役場]

  • Share on
このページのTopへ